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「論理力」という言葉は、教育の現場においてもよく耳にしますが、具体的にはどんな内容を指すのでしょうか? そもそも「論理力」とはどんなものか、さらに中学受験では「論理力」がどのように問われるのかを解説します。


論理力と思考力は別物

「論理力」。よく耳にする言葉ですが、それが具体的に「どんな力なのか」と考えたことはあるでしょうか。

東京大学で哲学を教え、論理学への造詣が深い野矢茂樹先生は、「そもそも『論理』についての一般的な誤解がある」と話します。

「論理は、思考の結果をできるだけわかりやすく表現する際に働きます。また、そのようにして表現されたものを的確に読み取り、理解するときにも必要になります。つまり、論理力とは、考えをきちんと伝える力であり、伝えられたものをきちんと受け取る力にほかなりません。論理という言葉は、『論理的思考』などと一般的にも使われるように、思考とイコールだと思われがちです。しかし実は、論理と思考は全く違うもの。思考というのは、どこかでひらめきを必要とします。『あ、そうか!』という飛躍をもたらすのが思考なのです。一方で、論理というのは、その飛躍が必要な距離を縮めてくれるもの。まずは論理で、飛躍が必要な距離をできるだけ詰めておいて、論理で埋まらない最後の溝を飛び越えるために思考する。論理がしっかりしていれば、大きく飛躍した思考をせずとも、新たなアイデアが生まれるわけです。ひらめきは天性の才能もあるでしょうが、論理を展開するのに必要なのは訓練や経験であり、特別な才能は必要ありません」(野矢先生)

また、小論文の指導塾「白藍塾」を主宰する樋口裕一先生は、「論理力とは一般的には『筋道を立てて考える力』と言われていますが」と前置きをしつつ、こう分析してくれました。「論理力とは、抽象を具体的に表現する『具体化力』、具体的なことを抽象化する『抽象力』、物事の共通点を把握し、まとめる『統合力』の3つからできていると考えています。具体と抽象を使い分けつつ物事をまとめ、表現する能力が論理力。私は論理力を『相手を説得し、自分が得たいものを得るための能力』と定義しています。たとえ、理詰めに考える力がいくら高くても、相手や社会がそれを受け入れなければ何の意味もありませんね。この力は先天的なものではなく、訓練次第で伸ばすことができます」(樋口先生)

加えて、論理力に関する著作が多い小野田博一先生は、「論理力は無意識に備わっている」と話します。「論理力とは、導くことができる事柄を導く能力であり、実は誰にでも備わっています。たとえば、歩いていて電信柱を避ける。この一連の動作は『電信柱を認識→このままではぶつかる→ぶつかりたくないから避けよう』という論理が働いているのです。つまり、論理力自体は、特別な能力ではありません。一般的に論理力という場合、無意識ではなく『意識的な論理力』を指すことが多いですね。意識的な論理力とは、日常的には、理屈を丁寧かつ克明に説明する能力であり、訓練するほど上達していきます。つまり、鍛えられる力なのです」(小野田先生)

3人の識者に共通する見解は、「論理力とは伝えたいことを表現する力であり、それは後天的に鍛えることができる能力である」というものです。

渋男君と犬のハチは家から学校の方へ、教子さんは学校から家の方へそれぞれ向かいます。2人と1匹はそれぞれの場所から9時に出発しました。図のように家から公園までの距離は、学校から公園までの距離の2倍です。

渋男君の歩く速さは分速60mでハチの走る速さは教子さんの歩く速さの3倍です。教子さんは最初にハチと出会いその場で一緒に1分間遊びました。遊び終わると、ハチは渋男君のいる方へ走り出し、教子さんは公園の方へ歩き出しました。

その後、ハチは渋男君と出会い、その場で一緒に1分間遊びました。遊び終わると、ハチは家の方へ走り出し、渋男君は公園の方へ歩き出しました。 その後、ハチは家まで戻ると、すぐに引き返して公園に向かって走り出しました。

教子さんが公園に着いたのは9時5分でした。教子さんが公園に着いてから4分間待っていると、渋男君が公園に到着したので、すぐに2人で一緒に家へ向かって歩き出しました。そのときの2人の歩く速さは、分速60mです。しばらくすると2人は渋男君の家から戻ってきたハチと出会いました。

次の問いに答えなさい。ただし答えを求めるのに必要な式、考え方などを順序よく書きなさい。

【渋谷教育学園渋谷中学校(平成23年度)】

(1)学校から家までの距離を求めなさい。
(2)ハチがはじめに渋男君の家を出て、次に渋男君に出会った時刻は何時何分何秒ですか。
(3)最後にハチと2人が出会った場所と渋男君の家までの距離を求めなさい。

〈答え〉
(1)720m 進行の様子をグラフに表すと、下図のようになる。 渋男君が公園に着いた時刻は、9時5分+4分=9時9分なので、渋男君が家から公園まで歩いた時聞は、9時9分一9時一1分=8分である。よって、家から公園までの距離は、60×8=480(m)なので、学校から家までの距離は、480÷2×(1+2)=720(m)

(2)9時5分15秒 

(3)405m

勉強のすべての場面に論理力が関係


異文化コミュニケーションには論理力が問われる

論理力は、社会的にも備わっていた方がいい能力であるとされています。では実際、論理力の有無で何が変わるのでしょうか?

「論理力がないと、物事を関係づけて捉えることができません。気楽な雑談などは話題がどんどん変わり、話題間にあまり緊密な連関はない。だからこそ楽しいのですが、常にそれでは困りますね。特に勉強では、論理力はすべての場面に関わってきます。たとえば、歴史を学ぶにしても、出来事を関係づけて、全体を一貫した目で捉える力が必要ですが、この力はまさに論理力です。日常的にも論理力が必要な場面はよくあります。たとえば、よく知らない相手に内容のある話を伝えねばならないときは、できるだけ言葉を省略せず、言葉と言葉の連関性を明確にして、首尾一貫した仕方で話さなければいけません。この説明方法は論理的でなければできず、論理力はこういう場面でのコミュニケーション力と直結するのです」(野矢先生)

樋口先生も、この意見とほぼ同じ見解です。

「小学校で勉強ができるということは、ひと言で言えば論理力が高いということにほかなりません。算数をはじめ、論理力で客観的に言語を捉えなければ言葉は覚えられませんし、社会や理科も、Aが起きた結果Bがある、というような必然性を論理的に理解しなければできません。グローバル化が進む現代社会において、論理力はコミュニケーションにも大きな影響を与えるでしょう。なぜかと言えば、英語やフランス語、ドイツ語など欧米圏の言語というのは、文法が極めて論理的であり、それを操るうち、それなりの論理的な思考をせざるを得ないからです。つまり、欧米圏の人は総じて論理的な思考に向いていると考えられます。ですから、論理的でない人は彼らを説得できず、軽く見られてしまうことがあるでしょうね」(樋口先生)

異文化と接する場面で、論理力が必要であるということは、小野田先生も指摘しています。

「社会に出てからは、特に異文化コミュニケーションの場で論理力が問われます。英語圏の人々は特に、丁寧に理屈を述べる習慣を持ち、会話でも文章でもそれを大切にしています。理詰めに語る表現力が劣っていると、海外の人に『知性が低い』と判断されかねません。また論理力以前の問題として日本人は、自分の意見を明確に述べることができません。ある意見に賛成か反対かを聞かれたときに、周囲の意見を聞いてからでないと、自分がどちら側なのかを述べられません。このような態度は、自分で考える能力がないとみなされます。論理力のみならず、日頃の発言習慣や自分の意見を持つ態度に改善が必要です」(小野田先生)

国際的にみて日本人は論理力がない?

 日本の教育現場では論理力を育成するような授業は、一般的にほとんど行われていません。その理由を、樋口先生と野矢先生はこう分析します。

「日本の国語教育においては、文学偏重の傾向があります。道徳的、情緒的に文章を味わうことに重きが置かれ、その対極にあるとも言える論理力にはスポットを当ててきませんでした。また、『空気を読む』というような言葉があることからもわかる通り、日本人の特性として、相手の意見をすばやく察して相手とぶつからないようにすることを尊ぶ傾向があります。これも論理力を育てることとは全く逆です。意見を批判することは、論理力を育む最もよい方法のひとつですが、教育現場においてもその訓練はされてきているとは言えませんね。いずれにせよ、日本人の論理力は国際的に見て弱いものになってしまっています」(樋口先生)「どの科目で扱っていいかわからないからでしょう。特に、論理だけに焦点を当てた授業をする科目が、日本にはありません。広島県の小学校で実験的に『論理科』を開設した試みがありましたが、そういう科目を作ることを、これからはもっと考えてもよいと思います。既存の科目では、狭い意味での論理を教えるのは算数で、広い意味での論理を教えるのは国語ということになるでしょう。『狭い意味での論理』とは、前提を認めたら結論も必ず認めなければならない『演繹』というものを意味します。一方、『広い意味での論理』とは『言葉と言葉がきちんと関連し合っていて全体が首尾一貫している』ということです。そして、国語では、近年ますます論理の重要性が強調されるようになってきています。私は中学の国語教科書の編集に携わっていますが、少なくともその教科書では論理力がとてもだいじな力として考えられています。これからは日本でも、論理力を鍛える授業が出てくるかもしれません」(野矢先生)

基本的にはすべての科目に影響を与えるという論理力ですが、野矢先生の言葉にもあるように、国語と算数は、特に論理力とつながりが深いようです。小野田先生は、国語・算数と論理力の関係を次のように説明します。「国語においては、特に作文をするときに、論理力が必要になるでしょう。たとえば読書感想文では、本を読んでどう思ったのか、思った理由は何か、という説明をしなければいけません。これは、自分の結論とそう考えるにいたった理屈を論理的に説明することが必要です。また、算数では、特に文章問題を解く際に、論理力が問われます。与えられた状況から考えられる理屈で、ひとつの結論を導く。これにも論理力が必要です」(小野田先生)

Q.線部に「寄り道をして」とありますが、「少年」が「寄り道」をしているのはなぜですか。説明しなさい。

地面はあいかわらず砂利と赤いむき出しの土で、見るからにすべりそうだったが、おじさんのあとをわざと追わずに道のわきの下草をふんでみると、むしろそちらのほうが危ないようだった。都会育ちの少年の語彙にぬかるみという単語はないに等しい。公園のこみちはどこへ行っても舗装されているし、学校の運動場はかろうじて土になっているけれど、水を吸った状態で遊ぶとグランドをいためるとの理由で、雨の日は使用禁止になる。ねちゃねちゃと音のする土にふれる機会は、まずなかった。山道にはしめった草木のかおりが満ちていて、すっぱいようなくさいような、あまり気持ちよくない種類のものもあったのだが、そういう複雑なにおいのする道をはねたりジグザグに進んだりしながらのぼっていくのは、車に乗っているときの数倍も楽しいと少年は思った。おばさんが用意してくれた日本手ぬぐいの切れはしのおかげで、靴のぐあいもいい。ずっとまえからはきなれている靴みたいに足になじんできていた。

「だいじょうぶか」おじさんは少年が寄り道をして足音がややはなれると、すぐにふり返ってたずねる。声をかけなくとも、五分に一度はふり向いて姿を確認する。(堀江敏幸『トンネルのおじさん』より)

〈解答例〉
しめった草木のにおいやぬかるみは都会育ちの少年にとってはめずらしく、存分に楽しんでいたから。

論理力が中学での伸びを支える

国語や算数の入試問題で論理力が問われている

論理力をどのように捉えているのでしょうか。四谷大塚の原健治先生は、国語と論理力について、こう話します。「国語と論理力は、切っても切れない関係です。文章は、論理で理解していきます。文がつながって文脈になり、文脈が段落になる、という広がりの中で、それぞれの文の関係性とそこから導かれる文章全体の意味を理解するには、論理力が必要です。また、読解の問題には、物語と説明文がありますよね。一見すると、説明文の方がより論理力が必要に思えるかもしれません。しかし実は、説明文の方が論理面ではやさしい。主題をわかりやすく説明するための文章だからです。一方の物語文は、行動と心情の因果関係を追い、さらに主題を追うために、より高度な論理力が必要になります」

国語において、論理力を語る上で不可欠な存在があると言います。

「それは接続語です。たとえば、『だから』と順接が使われているか、『しかし』と逆接が使われているかで、その後の展開を類推することが可能となります。接続語を正しく使えるようになることが、論理力を大きく伸ばしてくれるでしょう」(原先生)

一方、算数の井上幸治先生は、「算数の力は論理力に尽きる」と言います。「多くの子どもが『算数は答えを出すことが重要』と考えているように感じますが、算数において重要なのは、問題文を正しく読むことと、その条件をじっくり整理し総合的に考えるというふたつの『過程』。そのふたつの過程こそが論理力なのです」

では、算数の論理力はどのように身につければよいのでしょうか。「算数で論理力を鍛える具体的な方法は、問題の解き直しをすること。この際に、ただ答えを確認するのではなく、問題を吟味して読み取り、そこに書かれた条件を分解してから自分の言葉に置き換え、理解するようにします。自分に不足していた力や知識を自分の言葉で表現するのです。そうすることで、設問者の意図を論理的に類推することができると思います」

近年の入試でも、算数の論理力を問う問題は増加傾向だと言います。「テクニックで解ける問題より、与えられた条件を正しく読み取って使いこなす問題を学校側が出題するようになったのです。ただテクニックを身につけている子よりも、算数の論理力を身につけている子の方が、中学に入っても当然伸びます。そういう子を学校側は集めたいのです」(井上先生)

論理力は、あらゆる科目の伸びを支えるもの。ぜひ意識的に鍛えていきたいところです。

論理力が中学での伸びを支える

思考力を強化して研究論文に発展

開校以来、都立桜修館中等教育学校では論理力の育成に力を注いできました。1、3年生を対象として、隔週ごとに2時間連続で国語と数学の「論理を学ぶ」授業を交互に行っています。「国語における論理力とは、頭の中の考えを言語化することです。そのための手段として、話す・書くに特化した思考力・表現力を養う授業を行っています。4つの取り組み(右の授業DATA参照)の中でも、論文がポイント。論文の形式や書き方なども教えますが、生徒たちには何より自分で調べる体験をしてほしいと考えています。たとえば、1年生は『○○はなぜおいしいのか』というテーマで、いくつもの店を食べ比べたり、店主さんにアンケートを取ったり。自分で汗をかいて研究することが最大の目標です」(松澤先生)

「数学では、数学的活動を通して課題を論理的に解決する力を育成します。毎回プリント教材を用いて、さまざまなテーマに取り組んでいます。たとえば『10をつくろう』では、4つの異なる数字を組み合わせて10を作る式が何通りあるのかを考えます。数学そのものが筋道を立てて考えることですから、こうした活動を通して論理力を育てると共に、班で分担して研究するグループ活動も取り入れています。答えを出すことより思考の過程に重点を置いているため、2時間じっくりと考えを深めさせています」(西田先生)

両教科の先生は、授業を受けた生徒の変化を実感しているとのこと。その成長ぶりを、次のように語ります。「当校の生徒は人前で話したり、長い文章を書いたりする時間がほかの学校とは比較にならないくらい多いはずです。その分、スキルとして着実に身についているのでしょう。中学生とは思えないほど、立派に話すことができます。さらに、わかりやすい話し方、文章の書き方を学ぶと読解力も上がるんですよ。きちんと根拠立てて、論理的に読めるようになります」(松澤先生)「数学の思考の過程は表面上は見えませんので、国語のようにはなかなかいきません。ただ、『算額をつくろうコンクール』に応募して、3年連続で入賞していますね。ほかにも、普通の数学の授業は好きではないけれど、数学の論理は楽しいという生徒の声を聞きますし、この授業に一所懸命に取り組んでいた生徒の多くは、最終的に理系に進んでいます」(西田先生)

論理の授業の集大成とも言えるのが5年次の研究論文です。個々にテーマを設け、1年間かけて取り組みます。「毎年、最優秀賞を決めるのですが、どれも読み応えがあります。昨年の最優秀賞は日本の幼児教育がテーマで、足繁く保育園、幼稚園に通って課題を考察し、今後どうあるべきかをまとめたものでした。その生徒は幼児教育に携わるために、教育系の大学を進路に選んで、合格しました」(松澤先生)

「多摩川の水質をテーマに選んで、思うような答えが出なかった生徒がいました。『仮説のようにならなかったと書いていいので、壮大なものを書けよ』と言ってその通りに書いてきたんです。彼は東京大学に入学しましたが、自分の論文をまたいつか振り返るときがあってほしいですね」(西田先生)

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