「企業の力を生い かして被災地の復興を加速させる」

阿部彩氏(首都大学東京 都市教養学部 教授)夢をかなえるために大事なこと3つ

読書好きの小中学時代を経てアメリカへ

阿部彩
東京都生まれ。米国マサチューセッツ工科大学卒業。コンピュータエンジニアとして働いた後、タフツ大学フレッチャー法律外交大学院で博士号を取得。国立社会保障・人口問題研究所などを経て、2015年4月より首都大学東京教授に就任。専門は貧困・格差論など。

   小学生の頃は、学校の図書室に行くのが日課でした。とにかく本を読むのが好きで、図書室にある本を片っ端から読んでいましたね。イギリスの児童文学『ウォーターシップ・ダウンのうさぎたち』や『シートン動物記』『ファーブル昆虫記』など、生き物が登場する本が特に好きでした。自分でストーリーをつくるのも楽しくて、小学校の卒業文集に「大きくなったら小説家になりたい」と書いた記憶があります。

 周りの子がやっていたこともあって、四谷大塚の日曜テスト(週テスト)に5年生の頃から取り組んでいました。その後、親の転勤で大阪へ引っ越し、中学受験をして大阪教育大学の付属校へ入学。その学校では、文化系と体育系、両方の部活に入るのがルールだったため、演劇部とソフトボール部を選びました。私と同じように本が好きな同級生が多かったので友だちがたくさんできて、楽しい毎日でした。

 そんな生活が一変したのは中学3年のとき。再び親の転勤で、今度はアメリカに住むことになったのです。ニューヨークの郊外で暮らしながら、地元の子どもが通う学校に入りました。彼らのライフ__スタイルは、日本人の中高生と大きく異なります。高校生になると男の子は車で学校に来たり、女の子はお化粧してパーティーへ出かけるのが当たり前でした。しかし私は、英語で行われる授業についていくのがやっとで、華やかな雰囲気の輪に入ることができませんでした。来る日も来る日も必死で勉強をしました。今は「英語が上手ですね」と言われますが、あのときの私ぐらい猛勉強すれば、だれでも英語がうまくなるように感じます。

 さすがに英語はアメリカ人にかないませんでしたが、理系科目は日本で培った学力もあり、成績が良かったので、理系の最高峰と呼ばれるマサチューセッツ工科大学(MIT)を目指しました。

国際貢献できる仕事を 志してインドで働く

小学生時代の写真。本を読むのが大好きで、当時は小説家 に憧れていた。

 MITには、世界中から理系のトップクラスが集まってきます。だから、レベルの高さに驚かされました。ここでは講義についていくだけで、毎日猛勉強しなければなりませんでした。周りも皆そうでしたね。

 私が大学を卒業した頃は、コンピュータのエンジニアが注目され始めた時代でした。私もエンジニアとして働き始めたのですが、まもなくして、「このままでいいのだろうか」という迷いが出てきたのです。アメリカの高校、大学を出て、アメリカの企業に就職する。そのルートに何の疑問も持っていなかったのですが、次第に「日本人としての自分」を意識し始めたのです。そして、国際社会に貢献できる仕事をしたいと考えるようになりました。

 私は会社をやめて、外交官を目指す人などが学ぶ大学院に通い、専門的な勉強をスタート。地道な努力を続ける中で、日本の外務省が行っていたプログラムに参加し、インドにある国際連合の事務所で2年間働くチャンスをもらいました。現地の人がとても温かく接してくれたおかげで、充実した日々を過ごすことができました。その一方で、日本でもアメリカでも見たことのなかった、すさまじいほどの貧困を目のあたりにしたのです。路上で暮らしたり、食べ物や衣服にも困る人々の光景は、私の脳裏に焼きつけられました。

生活に困っている人を救える方法を考える

理系分野の最高峰・MITのメインビルの前で父と撮影。ハイレベ ルな学友にもまれながら、研究に明け暮れた。

 

 アメリカへ戻って博士号を取得した私は、日本へ帰国。後にJICA(国際協力機構)と統合される組織で働き始めました。

 その頃、通勤で使っていた新宿駅の一部に、ホームレスの人たちがつくった段ボールハウスがいくつも並んでいました。それがある日突然、すべて撤去されていたのです。これまで生活していた場所を強制的に追われた人たちは行くあてもなかっただろうし、今どうしているのかもわかりません。「先進国の日本なのだから、生活に困っている人は国が助けるものだと思っていたのに……。厄介払いをしただけじゃないのか」と強いショックを受けました。

 その出来事をきっかけに、ホームレスの人を支援するボランティア活動に参加しました。仕事が終わった後や週末に、ホームレスの人たちと一緒に見回りをしたり、食事をつくったりしていました。しかし、このような活動はいつ何時必要とされるかわからないし、本当にたいへんな経験をしているホームレスの方々の身の上を聞くだけでも精神的にとてもつらい活動です。自分の仕事や家族のことも二の次にしなければなりません。

「どうすればいいのだろう……」 葛藤を抱える中で、私は自分の得意分野を生かして、自分のできる範囲で社会に貢献する道を模索し始めました。私にはコンピュータの技術がある。これを生かして人々を苦しめる貧しさの問題を解決する糸口を見つけよう。そう決心した頃、社会保障制度や人口の問題などを研究する国立社会保障・人口問題研究所がちょうど研究者を募集していたので、迷わず応募し、その研究所で働くことになりました。今年の春に首都大学東京へ移りましたが、今も貧困や格差、社会保障に関する研究を続けています。

日本に広がる「貧困」と戦うための研究

海外経済協力基金(現JICA)で働いていた頃、バ ングラデシュの村で開発プロジェクトに参加。 地元の子どもたちと撮影。

 皆さんは「貧困」という言葉を聞くと、どんなイメージを持ちますか? アフリカの一部の国々、あるいは日本の戦後間もない時代を想像するかもしれませんね。今の日本には、まったく当てはまらない話のように感じられるでしょう。

 たしかに、命の危険にさらされるほどの飢えに悩まされる人は多くありません。しかし、夕食にはカップラーメンしか食べられなかったり、家賃や電気代が払えないぐらい経済的に困っている状態も「貧困」と言えます。そんな生活を強いられている人は、日本人のおよそ6人に1人ということも研究からわかってきました。そういう人がもし病気にかかったり、仕事を失ったりすると、さらに深刻な状況になります。そのリスクを少しでも減らそうと、私たちは国民の生活に関する調査を行い、結果を分析しています。その内容をもとに国や行政機関に提言を行いながら、人々の生活をおびやかす貧困を解消する手立てを探っています。

私がこの研究を始めた当初は、周りの理解がなかなか得られず、「日本は豊かじゃないか」と言われることが多かったんです。しかし、10年経ってようやく研究に理解を示し、協力してくれる人が増えてきました。今後は次世代を担う若い研究者を大学で育てながら、政策を変えるような研究をしたいです。

 私には、皆さんとほぼ同年齢の子どもがいます。今の小学生が社会に出たときに、貧困の問題に直面しなくてすむよう、これからも研究を続けていきます。皆さんも周りの意見に流されず、自分の得意分野を生かしながら、夢にチャレンジしてみてください。

 大学を卒業後、エンジニアとして働き始めたのに3年で退職。大学に入り直したり、突然「インドへ行く」と言い出したり(笑)、大人になってからも何かと心配をかけてきました。それでも両親は反対することなく、サポートしてくれました。当時の私は、それを当たり前のように思っていましたが、自分自身が親になってから我が子への心配は尽きないことに気づかされました。両親もハラハラしながら、私の意志を尊重してくれたのでしょう。そのことに心から感謝しています。
気になる部活調査隊
観察や飼育をとことん極められ貴重な理科体験
 京華中学・高等学校の理科部には天文、化学、PC、生物の4班があり、それぞれ天体観測や化学実験など、...>>続きを読む
一番星学園
国際感覚豊かな人材を養成する海外留学試験に合格
中学2年生で英検2級に合格、現在は準1級を持つ本橋将志君は、UWCという国際教育機関への海外留学試験...>>続きを読む
サイトマップ
人気記事ランキング
01 特集
そのひと言が子どもを変える! 学力を伸ばすほめ方・励まし方
02 スペシャルウィーク
9歳までに身につけたい国語力
03 子育てに効く脳科学のお話
頭をよくする方法はある?

サイト内検索
 

RSS登録
これまでの特集記事



気になる記事ピックアップ
これまでに公開された記事の中から気になる記事をランダムでピックアップし、表示しています。