座談会に参加してくれた先輩方
坂本 一樹さん
暁星中学校・高等学校を卒業後、明治大学に入学。現在、一級建築士としてアトリエシープ設計事務所に所属。
村上 愛さん
光塩女子学院中等科・高等科を卒業後、早稲田大学に入学。現在、通関業を営む大東港運で広報を担当。
渡辺 大祐さん
早稲田中学校・高等学校を卒業後、早稲田大学に入学。現在、JTBコーポレートセールスにて、営業として活躍中。

失敗した経験を大学受験に生かす
――中学受験をすることに決めたきっかけと時期を教えてください。
渡辺さん(以下、渡辺)  私の通っていた小学校では8~9割が中学受験をしていたので、当たり前のこととして考えていました。小5の初めにはみんな受験準備を始めるので、その頃から塾に通い始めました。
村上さん(以下、村上)  私は小3のときに引っ越して、スパルタな塾に通うことになったのがきっかけです。根を詰めて勉強すると意外なほど成績が伸びたので、私立を受けようという気持ちになりました。
坂本さん(以下、坂本)  僕の場合は母が将来を考えてすすめてくれたからで、特に自主性を持って決めたわけではありません。塾に通い始めたのは小4からでしたね。

――受験生活を思い返して、一番印象に残っていることは何ですか?
村上 小6の夏休みは、塾の拘束時間が長くて、お弁当を3つも持って行っていたのを覚えています。講習以外に朝8時から夜10時まで自習室を開放していたので、そこに通ってひたすら問題を解いていました。お弁当箱と水筒がすごい量になるし、終わる時間も遅いので、必ず迎えに来てもらっていました。親との二人三脚でしたね。
渡辺 塾はとにかく厳しかったです。好意的に解釈すれば(笑)、厳しい環境に身を置くことで自分を追い込めたんでしょうね。クラス分けされて、このクラスに入れば志望校に合格できるという目安がありましたから、つらくても行かなきゃと思っていました。
村上 放課後に遊んだ記憶がなくて、校庭で遊んでいる子たちがうらやましかったですね。毎日、夜の12時とかまで勉強して、集中力が持たずに、すごくきつかった時期もありました。
坂本 僕はすすめられるまま素直に受験生活に入ったのもあると思いますが、塾は楽しかったです。先生の教え方が上手だったし、みんな仲よし。逆に、家で勉強するのはあまり好きではありませんでした。そのことで母親に反抗してしまうこともあったのですが、一度、母親が怒って家を飛び出してしまったことがありました。結局、周囲を散歩して帰ってきただけなんですけれどね(笑)。
村上 私も、基本的には楽しかったですよ。みんな和気あいあいとしていたし、クラブ活動のような感じ。学校では絶対に教えてくれないようなことを教えてくれるのも楽しかったですね。あとは、成績が伸びること自体が単純にうれしかった。同じ塾の友だちの誰よりも高い点数を取りたいとか、純粋な野望がありました(笑)。
渡辺 それは僕も同じですね。塾では成績1位から50位まで全員の名前を表にして配っていたのですが、そこに載るのが目標で。みんなに見てもらえるとうれしいし、載ると声を掛けられたりもするんです。それに、学年が上がって志望校別にクラスが分かれるようになると、今度は同じ目標を持って一緒に勉強する仲間という感覚が生まれてきました。励まし合ったり、慰め合ったり、小学校の友だちとはまた違う、支え合うような関係でしたね。

――何か転機になるような出来事はありましたか?
渡辺 塾で3時間くらい居残り勉強をした後、いつもは怖い先生がラーメンの出前をとってくれたことがありました。そこで初めて"人と人とのつき合い"ができるようになったというか。いろいろと語って、励ましてくれたのがとても印象に残っています。その頃からどんどん成績が伸びてきたので、それが転機かもしれませんね。
坂本 逆に僕は成績がずっと順調で、直前の模試でも第一志望に受かるだろうと言われていたんですよね。でも、結局その1か月後に落ちてしまって……。自分の責任とは言え、正直、ちょっと腹が立ちました(笑)。
村上 私も第一志望には受からなかったんです。塾のテストはよくできたんですが、一度ほかの塾の公開テストで悪い判定が出たことがありました。でも、その現実を受け入れられず、何かの間違いだと臭いものにフタをしてしまったんです。すると、直前期に偏差値がガクンと落ちてしまって。目先のテストだけに強い、突貫工事のような自分の状況をわかっていたのに、どうすればいいのかを考えることができなかったんです。ただ、その悔しい経験があったからこそ、「二度と同じ失敗をしない」と肝に銘じ続け、大学受験では第一志望に合格できました。


将来へのビジョンを示してくれた先生
――母校の印象的な授業や先生などを教えてください。
坂本 暁星は創設者がフランス人なので、フランス語の授業があります。小学校から通っている人には当たり前のことなのかもしれませんが、最初は驚きました。入学式でいきなりフランス国歌を歌わせられるんですよ(笑)。それと、カトリック系の学校なので、ミサがあって新鮮でした。
村上 光塩女子学院にもミサがありました。実は、私の母もカトリック系の高校出身で、自分の子どもを宗教色のある学校に入れたい、という思いがあったみたいです。ですから、母が誇りに思っていることを継承できるみたいな、憧れのような気持ちがずっとありました。ミサの最中に、「ああ、今、憧れの場所にいるんだな」と感じていました。
渡辺 実は、早稲田は割と地味な学校なんですよ。ただ、先生の中には印象的な方がいました。まだいらっしゃるかどうかはわかりませんが、当時の副校長は人格者で勉強を教えるだけではなく、いろいろな話をしてくれました。国語を担当していて、人生とはこういうものだ、というような話を授業の中に織り交ぜるんです。「30歳になったらこうしなさい」というビジョンを示してくれたこともありましたね。
村上 一番印象に残っている先生は、高校のときの国語の先生です。とても私を評価してくれた方でした。自分のやりたいことが何も見出せなくて、八方ふさがりになっていたとき、その先生が「文章を書くのが上手だね」と言ってくれて、読書感想文で表彰されたんです。その後、校内の弁論大会で優勝することもできました。その先生からいただいた言葉をきっかけに文学部を志すようになって、文学部なら早稲田を目指そうと、大学受験の志望校を定めることができました。


幅広い分野で活躍する友だちに刺激を受けて 
――その後の人生に影響を与えた母校での出来事や体験があれば、具体的に教えてください。
渡辺 高校のときに、ホームステイをして、海外の寮に入って生活するというプログラムがありました。それに参加したことで自分の価値観が大きく変わりました。日本を飛び出して、いろいろなところを見たい、チャレンジしたいという気持ちが培われ、今の旅行会社という仕事に通じるきっかけを与えてくれたと思います。
村上 私は、先ほども話しましたが、高校の国語の先生との出会いです。反抗していろいろなものにぶつかっていた思春期の時期に、その先生と出会えて、自分を肯定できたのはとても大きな出来事でした。"ものを書く"ことに自信を持てるようになったきっかけですし。大学では文芸専修に進んだのですが、それは現在の広報という仕事にも通じています。その先生とは、今も一緒にお食事をすることもありますし、就職などの人生の節目には、必ず何かしらの諭しをいただいています。
坂本 僕の場合、出来事ではありませんが、あの頃の友だちと本当に仲がよくて、それぞれがいろいろな分野で活躍していることが刺激になっています。僕も建築という分野でがんばろうと思って国家試験に合格し、一級建築士の資格を取ることができました。今でも皆と深くつき合っていて、毎年旅行に行ったり、忘年会などになると30~40人が集まってきます。やっぱり、多感な時代をともに過ごしたこともあってか、とても気が合うんですよ。当時と同じように、今もじゃれ合っています(笑)。
村上 同級生のノリのまま大人になっちゃった、みたいな感じですね(笑)。中高時代の友だちが多彩な分野で活躍していると、自分にとっていい刺激になりますよね。
坂本 学校がいろいろな方向を指し示してくれたんでしょうね。中には弁護士や医師、公認会計士もいるので、「困ったときにはあいつに聞けばいい」というのもあって助かっています。



厳しさを乗り越えてへこたれなくなった
――今、振り返って「中学受験をしてよかったな」と感じることを教えてください。
渡辺 中学受験をするということは、挫折と成功の繰り返しでした。たくさん失敗をして、人生初の挫折も味わいました。僕の通っていた塾は10クラスあって、上から2番目か3番目のクラスでなければ、早稲田には合格できないと言われていたのに、僕は下から2番目のクラスだったんですよ。がんばって勉強しているつもりだったのに、いきなりクラスが3つくらい下がったこともありました。ランクづけのしっかりした競争環境の中に身を置いたことは、後々大きかったですね。そこで努力してつかんだことは、今に生きていると思います。
坂本 今、自分がどのあたりにいるのか、数字を目の前に突きつけられるんですよね。そういう数字は大人になってからもついてくるものですし、その厳しさを乗り越えたことで、気づかないうちに鍛えられて、強くなった部分があるのを感じています。
村上 知識の面で言えば、高校生のときに覚えたことは細かすぎて抜けてしまっているのに、小学生のときに覚えたことは今でも残っているんです。膨大な文章を読んで、たくさんの問題を解いていた、あの頃の脳の働きは違うのかもしれませんね。理科も社会も楽しく勉強していたので、星座の名前なんかも忘れずに覚えています。中学受験で身につけた知識は一般教養がベースだと思いますが、今でも人からよく「雑学王だね」って言われるんですよ。中学受験経験者には、そういう人が多いんじゃないでしょうか。

――中学受験の経験は現在の仕事にも役立っていますか?
坂本 受験を通して、問題解決能力を身につけられたと思います。設計を進めていくと、問題が多々発生するんですけれど、それを一つひとつ確実にこなして、建物の完成という最終目的に向けて突き進まなければなりません。そういう意味では、合格に向かってへこたれずに進まなければならない、中学受験にも共通する点があります。
村上 小学生の段階では、勉強の仕方自体がわからないという子どもも多いと思うのですが、それを一から教えてもらいました。ものを整理して把握するとき、どうすれば頭に入るのかというノウハウの基礎を身につけることができました。たとえば、社内報の誌面をつくるのも、勉強のまとめノートをつくるのと基本は同じだと思うんです。私は今でも、小学生の頃に塾で教わってつくった、まとめノートを取ってあるんですよ。いろいろやってきたことが全部、仕事に生きてよかったなと、この頃よく感じています。
渡辺 僕の場合は、やはり競争した経験です。中学受験という競争の中で自分がどの位置にいて、ランクを上げるためにはどんなことをすればいいのかと考え、人に勝つために努力したり、失敗したことが生きています。今、営業の仕事をしていて、コンペなどで他社と競争する中、仕事を取るためにどうすればいいのかと考えることと、本質的なところで通じていると思います。最近では運動会でも順位をつけないと聞きますが、早い段階から競争を経験することは、必ずその人の成長につながるはずです。


大人になってわかるサポートのありがたさ
――最後に、志望校合格を信じて、日々サポートを続けるご父母の方に向けて、アドバイスをお願いします。
渡辺 がんばっているときはほめる、サボっているときは叱るというメリハリをつけてあげてください。叱るだけ、ほめるだけでは、子どもが間違った方向に行ってしまう可能性もあります。親のサポートがあってこそ、子どもは実力を発揮できるもの。送り迎えやお弁当をつくってあげたりと毎日大変だと思いますが、そういうところに気をつけてもらえれば、もっと子どももがんばれるはずです。
村上 そうですよね。素直に評価してあげることが大事。私はテストで80点をとって喜んでいると、親に「なぜ100点じゃないの?」と言われて、萎縮してしまった記憶があります。あとは親が押さえつけて、何もかも取り上げないでほしいですね。小学生の集中力はそんなに持たないものです。私はマンガを読みたい欲求を抑えられなくて、こっそりと読んで、母親が見に来るときだけ勉強したりしていました(笑)。多くの子どもにとって、受験生活はストレスになってしまう側面があると思うんです。それに加えて家庭でプレッシャーを与えるようなことは避けてほしいですね。
坂本 アドバイスではないですが、小学生のときには親の大変さがわからなかったなと感じています。大人になった今になって、母親への感謝の気持ちが湧いてきました。
渡辺 それは本当にそうです。子どものときは、いろいろやってもらうのが当たり前だと思っているんですよね。
村上 正直なところ、我が家では父が受験に反対だったので、本当に母親との二人三脚だったんですよ。塾の送り迎えなどもそうでしたが、私の思いを尊重しながら一緒に戦ってくれました。母は同じ目線で勉強すればどんなに大変かがよくわかるからと、自分も勉強して、つきっきりで教えてくれたりしていました。今はまだ親の大変さを理解していないようでも、子どもは感謝の思いを持つようになるものです。後々の大学受験や将来の職業選択にも必ず役立ってきますから、今やっていることを信じてあげてください。
坂本 僕の母も一緒に勉強してくれました。そのことにとても感謝しています。子どもに反抗されることも多いかもしれませんが、今、受験生活のサポートをしているならば、そこをがんばって勉強させてあげてほしいと思います。努力したことは、すべて必ず将来の糧になりますから。

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