「企業の力を生い かして被災地の復興を加速させる」

藤沢烈氏(RCF復興支援チーム代表理事)夢をかなえるために大事なこと3つ

開成時代に見つけた人と人をつなぐ役割

藤沢烈
1975年京都府生まれ。開成出身。一橋大学卒業後、マッキンゼー・アンド・カンパニーに入社。2年後に独立し、NPOや社会事業のサポートに特化したコンサルティング会社を設立。東日本大震災後、RCF復興支援チームを組織し、情報分析や事業創造に注力する。

 私は3人兄弟の次男です。テレビのチャンネルと食事は、毎日奪い合いでした(笑)。幼少の頃に京都から千葉へ引っ越し、小学生の頃はサッカーに熱中していました。ちょうど『キャプテン翼』が流行っていたんです。でも足が速くなかったので、ポジションはキーパー。6年生のときにNHKの『地球大紀行』という番組を見たのがきっかけで、地球物理学者という仕事にも淡い憧れを抱いていました。6年生からは塾に通い、受験勉強に打ち込みました。その努力が実り、開成中学校に合格。開成では、個性的なクラスメイトがたくさんいました。あの学校に通っていなかったら、今の自分はいない。そう感じるぐらい、充実した6年間を過ごすことができました。 

部活は地質部に入り、いろいろな場所を探索しました。浅間山の麓へ行き、火山灰や鉱物の採集を行ったこともあります。高2からは部長を務め、部活動にさらにのめり込んでいきました。その一方で、優秀なクラスメイトたちと自分を比べたときに、何か引け目のようなものを感じていたんです。開成の生徒は皆、数学や歴史、芸術など、自分の得意分野__で圧倒的な能力を発揮していました。でも、当時の私には、そこまで自信を持てるようなものがなかったんです。

 そんな時期に偶然つくった校内のミニコミ誌(自主制作の雑誌)によって、それまでの考えが一変しました。自分が才能豊かな生徒を取材して記事を書く。その活動を通じて、〝自分はナンバーワンじゃないけれど、周りにいるナンバーワンの人たちの魅力を知ってもらう活動をしている。そのこと自体に価値があるんじゃないか?、そう思えるようになったのです。

大学を休学し自分の店を持つ

大学を休学し、自分のお店をオープンさせる(写真右側が藤沢氏)。さまざまな業界の人たちが集まり、人脈が広がった。

人と人をつなぐ活動を始めたことで、「社会」について考えるようになり、一橋大学の社会学部へ進学。そこでも、企業がスポンサーとなっていた大学内のミニコミ雑誌をつくる活動に打ち込みました。だから講義にはあまり出ず、アルバイトと取材に多くの時間を費やしていました。社会学は社会に出て人との交流を通して学ぶものだと、自分勝手な解釈をしていたんですね(笑)。

 

日本全国を飛び回って取材をするうちに、何千人もの人とつながりを持つようになりました。しかし、そんなことばかりしているものだから、大学2年生で留することに。それならいっそ人との出会いにより多くの時間を割こうと考え、休学届を出しました。私は大学に入る前から、さまざまな人が集まって語り合える場となるようなお店を開きたいと思っていたんです。休学を機に、その目標をかなえようと奮闘。それまで知り合った人の中から資金を提供してくれる人が見つかり、お店を開くことができました。

 

そこでは毎日いろいろな人が集まり、日本の社会や将来について真剣に話し合っていました。ちょうど阪神大震災が起きた直後だったので、多くの人が不安を抱えていたのではないでしょうか。交流の場としては、とても良いものをつくれたと、今でも自負しています。しかし、私はお店の経営に関しては素人でした。そのため、2年ほどでお店を手放すことになりました。理想の交流の場をつくることに熱中するあまり、経営とのバランスがとれなかったんです。

 

その後は、もう一度勉強しようという気持ちが湧き起こって復学。さまざまな講義を受け、視野を広げていきました。卒業後に入社するコンサルティング会社マッキンゼー・アンド・カンパニーには、インターン(学生が企業で試験的に働く制度)で出会いました。主な仕事は、企業の経営を改善・指導することです。お店の経営に失敗した経験から、〝経営について学んでおきたい"という気持ちがありました。それに、ほかの会社より給料が高かったというのも理由の一つです(笑)。

 

しかし数年働いて、知識と経験を身につけたら会社をやめ、ほかのことを始めるつもりでした。それを入社試験の面接で正直に話したところ、おもしろがられて社員として採用されることに。本当に懐ふところの広い会社で、今でも感謝しています。

被災地と企業の力を結びつけて復興を支援

NHKが放送する『東北発☆未 来塾』の撮影風景。東北の若者 が各界の専門家から学ぶ番組 に講師として出演した。

 

面接で「宣言」した通り、コンサルティング会社を2年で退職。NPOと社会事業のサポートを行う会社を立ち上げました。新しい仕事は楽しかったですが、〝自分は社会のためになることをやっているのだろうか?"という迷いも強くなっていきました。

 

ちょうどその頃、東日本大震災が起こりました。私は復興支援チームを立ち上げ、被災地のまちづくりや産業創出をサポート。2011年9月に現在の組織を設立し、今も復興に関わり続けています。具体的には住民のニーズに合った復興事業を考え、それに協力してくれる支援団体を探し、被災地の自治体や企業、NPOなどに紹介しています。

 

その活動を通じて、自分の中で明確になってきたことがあります。それは、企こそ世の中をより良く変える原動力になるということです。社会的な整備は行政の役目だと考えられがちですが、企業の方が得意とする分野は数多くあります。お金を稼ぐための方法やアイデアもたくさん持っています。その貴重な「財産」を役立てることができれば、被災地の復興と発展を、より力強く、よりスピーディーに推進できるのです。

 

たとえば被災地では、水産業で生計を立てている人が大勢います。そこに食品メーカーが関わるとどうなるか。現地では当たり前のように獲れている魚を見て、「これはめずらしい! ほかの地方で売れるはずだ」と新たなアイデアが生まれるかもしれません。復興事業で大切なのは継続して続けられること。つまり、ビジネスとして成立させることです。私たちはこれからも企業の力と、被災地が抱えている課題を結びつける活動を続けていきます。その成果を全国に広げ、社会をより良く変えていくことが目標です。

行動や意識を変えることでリーダーに近づく

2015年2月に東北学院大学で行われたシンポジウム。地元の商工会議所の責任者らと復興計画について話し合った。

私の主な仕事は、復興事業を考えたり、それに協力してくれる企業や人をマッチングすることです。しかし、これだけでは復興事業は成功しません。事業を実行に移していく人、地域のためにいろいろな立場の人をまとめられる人も必要です。被災地ではまだまだリーダーが足りないと実感しており、今後は人財育成や教育にも力を入れていきます。

 これから社会に出るみんなも、ぜひリーダーを目指してください。リーダーと聞くと、周りから選ばれてなるものだと思うかもしれません。しかし、〝自ら率先して行動しよう"〝全員で協力しよう"、そんな心構えは自分一人でも持つことができます。そして、自分で決めたことに全力で取り組み、最後までやり遂げる。そういう行動を積み重ね、リーダーシップを養ってみてください。

 私が幼い頃に両親が離婚し、母は一人で3人の息子を育ててくれました。そのパワーは、「すごい!」のひと言に尽きます。私が小学生の頃は呉服店の経営者として働き、新たな事業にもチャレンジしていました。その姿を見て育った経験が、今の私の土台をつくったと言えるでしょう。また自分の意見を押しつけたりせず、私の自尊心を尊重し、大人と話すときと同じように接してくれていました。早いうちから自立心が芽生えたのは、そういう母の接し方によるものかもしれません。
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