「義足の技術を進化させて障がいを乗り越える力に」

遠藤謙氏(ソニーコンピュータサイエンス研究所 アソシエイトリサーチャー)夢をかなえるために大事なこと3つ

バスケ好きの少年からロボットの研究者へ

遠藤謙
1978年静岡県生まれ。慶應義塾大学大学院修士課程を経て、マサチューセッツ工科大学(MIT)に留学。主に義足の開発に従事する。2012年よりソニーコンピュータサイエンス研究所へ。2014年には株式会社Xiborg(サイボーグ)を起業し、代表取締役に就任。

自然に恵まれた静岡県沼津市しで生まれ育ち、昆虫採集をしたり、海で泳いだりして遊んでいました。プラモデルをつくるのも好きで、ものづくりに対する興味は、この頃から持っていました。

小学校は私立の学校に進み、当時としてはめずらしく、授業で英語を学ぶことが多かったです。外国人の先生と話す機会もあり、次第に英語を身近に感じるようになりました。大人になってからアメリカの大学で研究を行うようになるわけですが、それ以前に留学や海外生活をした経験は全くありません。そんな私がコミュニケーションの面であまり不安を感じなかったのは小学生の頃の体験が大きかったのではないでしょうか。

 子どもの頃から体を動かすのが好きで、地元スポーツ教室に通い、水泳やミニラグビーに取り組んでいました。6年生からは、当時、少年誌で連載がスタートした漫画『スラムダンク』の影響を強く受けるようになり、中学校ではバスケットボール部に入部。それからはバスケ一筋で、高校・大学でも続けました。今でも時間ができると、バスケで体を動かすようにしています。  

大学進学に際しては、兄の影響によるところが大きかったですね。すでに慶應義塾大学理工学部で学んでいた兄から講義の内容などを聞かされて、私も工学を学んでみたいと思うようになり慶應へ。大学院に進学してからは、ロボットの研究を専門的に行いました。当時は、本田技研工業が発表したヒューマノイド(人間型のロボット)「ASIMO」に興味を惹かれ、ロボットに大きな可能性を感じていました。

学院で研究に取り組み数年が経った頃、私のもとに悲しい知らせが届きました。バスケ仲間だった高校時代の後輩が骨肉腫という病気により、片足に人工関節を入れ、その後切断することになりました。

後輩の病気をきっかけにMLTの留学を決意

大学院に進んでから は、ヒューマノイドの 研究に打ち込む。ロ ボットの大会やイベン トにも積極的に参加 し、視野を広げた。

学院で研究に取り組み数年が経った頃、私のもとに悲しい知らせが届きました。バスケ仲間だった高校時代の後輩が骨肉腫という病気により、片足に人工関節を入れ、その後切断することになりました。

私はお見舞いに行き、彼が少しでも元気になればと思って、二足歩行ロボットの動画を見せたのです。そのときに彼が「自分の足で歩きたい」とつぶやいて……。その言葉がずっと頭から離れず、「今まで研究してきたロボット技術を応用して、彼の役に立つものができないだろうか」と考えるようになりました。ちょうどその頃、アメリカのマサチューセッツ工科大学(MIT)のメディアラボという研究機関にいるヒュー・ハー教授のことを知りました。

ハー教授は10代のときに凍傷で足を失ったことをきっかけに、自ら義足の研究を始めた人物です。

私は彼のもとで学ぶことを決意し、アメリカへ。MITで義足の研究に従事するようになりました。具体的には、ハー教授が開発した義足をベースにして、さらに改良を加える作業に力を注ぎました。

ロボットと義足の開発は、電子回路を使ってモーターを動かす点が似ています。 しかし、義足がロボットのように重いと、利用者が不便を感じてしまいます。また 人間の歩行は、ヒューマノイドの歩行よりも動きが複雑です。日本で培ったロボット技術を応用した義足の開発を始めてみたものの、想像 以上に難しいものでした。しかし、病気と闘っている後輩に比べたら、自分 の感じているつらさや不安なんて大したものじゃない。もっともっとがんばれるはずだ。そう思いながら、日々の研究に没頭しました。

そして研究を始めてから7年、ロボット技術を駆使したハイテク義足が遂に完成。義足を試した人から「まるで自分の足で歩いているようだ!」と言ってもらえたときは大きな達成感を覚えました。

インドの事情に合わせ低価格の義足を開発

インドで義足開発に従事。でき上がっ た義足を身につけた少女は、自分の足で歩く喜びを取り戻した。

ただ、私たちが開発したハイテク義足は大変好評でしたが、一つ問題がありま した。世界最高レベルの技術を結集しているだけあって、1本の義足をつくるの に100万円以上かかってしまうのです。この問題を今すぐに解決することは難 しく、今後、量産していく過程で、製作コストを少しずつ下げるしかありません。

一方で、世の中にはもっと値段の安い義足を必要としている人が大勢います。たとえばインドでは、義足を必要としている人が1000万人近くいると言われ、その多くが 10ドル( 日本円で約1200円)に満たない義足を使っている状況です。その話をMITの研究仲間から聞いた私は居ても立ってもいられず、研究の合間を縫ってインドへ向かいました。現地に着くとすぐに材料を集め、すでに彼らが使っているものよりも高性能で、値段も安い義足をつくること取り組みました。MITと比べると、インドは義足をつくるための工具や部品が不足している状況です。でも、義足を待っている人たちが大勢いることを思うと、まったく苦には感じませんでした。

ンドとアメリカを往復しながら開発に取り組むこと約4年、苦労の末に新たな義足が完成。インドでは床にあぐらをかいて座ることが多いため、ひざ関節が120 度まで曲がる工夫を加えました。この義足を、交通事故で左足をなくした女の子に渡したとき、彼女は満面の笑みを浮かべてくれて。私も彼女が自分の足で歩けるようになった瞬間を見たときは、本当にうれしかったです。

インドでの経験をもとに、今度は日本でも安くて使いやすい義足を広める取り組みをスタート。ここまでの義足はとても高価なものが多いため、利用者が故障を気にしたり、外出を控えるケースがありました。しかし、もっと安い値段で義足を手に入れることができれば、義足を使う人たちのライフスタイルが広がる。温泉に行くこともできるし、登山を楽しむことができます。

この新たな義足の試作品ができた際には、義足開発のきっかけになった後輩にも試してもらいました。彼が「すごい! 軽い!」と声をあげながら歩く姿は、私に「もっと良いものを生み出そう」という気力を与えてくれました。

技術の力で障がいを乗り越えるまで

高校バスケ部時代の後輩にも義足を試してもらい、その可能性をさらに広げている。

近年は、別の分野でも義足の開発に取り組んでいます。それは、ランナーのめの競技用義足です。この活動を進めるために、オリンピック3回連続出場という偉業を成し遂げた元ハードル走選手 の為末大さんとともに会社を立ち上げました。当面の目標は、2020年に開催される東京パラリンピックで、私たちが開発した義足をつけた選手がメダルをとること。今はまだ試作の段階ですが、試行錯誤を繰り返すことで、技術はどんどん磨かれていきます。将来は、義足をつけた選手が健常者よりも速く走れる日が来るかもしれません。

私の恩師であるハー教授は「障がいは人にあるのではなく、技術にある」と言いました。その言葉を今も胸に刻み、日々、研究に取り組んでいます。高性能の義足が広まることで、障がいのハンディキャップを誰もが気にしない世の中になればいい。それが私の望みであり、一日も早く実現したいと思います。

高校時代、両親に「留学したい」と相談したことがありますが、そのときは反対されました。それは留学する理由がまだ明確ではなかったからです。当時の私は、なんとなく語学力をつけたい、というあやふやな気持ちで留学を考えていました。今思えば、両親の態度は当然でした。その後、慶應の大学院時代に「義足をつくるためにMITへ留学したい」と申し出ると、今度は「お金がないのであれば援助する」と言ってくれたのです。私の決意を後押ししてくれたことには、今でも感謝しています。
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