「じぶんの気持ちを行動につなげよう。失敗さえも貴重な体験になる!」

関野吉晴氏(探検家・医師)夢をかなえるために大事なこと3つ

野球選手と科学者を夢見た少年時代

関野吉晴
1949年東京都生まれ。一橋大学立大学医学部卒業。武蔵野美術大学教授(文化人類学)。一橋大学で探検部を創設し、南米の旅を開始。1993年から約10年間、アフリカで誕生した人類がアメリカ大陸にまで拡散していった行程をたどる。2004年から2011年までは日本人のルーツをたどる旅を敢行。

東京都墨田区で生まれ育ちました。私が暮らしていた頃は、墨田区は東京の中でも特に人口の多い地域でした。ベビーブームのピークでもあったため、小学校は1クラス50人以上。今の子どもたちには信じられないかもしれませんが、当時の東京はそれが普通でした。小学生の頃は、野球選手に憧れていて、毎日草野球をしていました。また湯川秀樹博士が日本人として始めてノーベル賞を受賞したのも大きな出来事で、科学者にも憧れを抱いてました。

野球を続けながら地元の公立中学に通い、高校は都立両国高校に進学。優秀な生徒が集まる進学校でしたから、自分よりも成績の良い同級生がたくさんいて、科学者を目指す夢はいつの間にかしぼんでいきました。その代わりとなる目標を探していたものの、親からアルバイトは一切禁止されていました。当時から興味を持っていた山登りについても、「危ないから」という理由でチャレンジするこ とはできず。だから、「大学に入ったら、自分の好きなことを目一杯やろう!」という気持ちが、どんどん膨らんでいきました。

そして一橋大学に入学すると、すぐに仲間と探検部を創部。ほかの大学の山岳部と一緒に山へ登り、体力を養っていきました。そして、探検部の活動を通じて知り合った人から海外の旅の話を聞き、日本の外へ出てみたいと強く思い始めるようになります。

 

また法学部の教授が「さまざまなものの見方や考え方に触れて、それを身につけることはとても大事だ」と話してくれたことも心に響きました。自分のやりたいことがまだ見つかっていない分、今までとは全く異なる環境に身を置いた方が何か発見できるのではないか。そう考えるようになりました。

そして、旅の行き先を考える中で、「どうせ行くなら、未知の部分が多いアマゾンへ行き、この目で世界最大の川を見てやろう」と思い立ったのです。それからは旅費を稼ぐために警備員や家庭教師など、さまざまなアルバイトをやりました。1年半かけてようやくお金を貯め、大学3年のときに休学して、アマゾンへ出発。これが長い旅の始まりです。

アマゾンの先住民と日本の歌で距離を縮める

オリノコ川(ベネズエラ)流域に住むヤノマミの人たちとも長いつき合いだ。

アマゾン川に到着すると川の上流から下流までカヌーで何か月もかけて下りました。ただ、川下りをするだけでは単調な毎日で、大きな刺激を受けることができなかったんです。そこで流域の森の奥に住む先住民族の集落を訪ねてみることにしました。彼らにとって私は見た目も全然違うし、言葉も通じない。当然、すぐには心を開いてくれず、私が話しかけてもほとんど無視されるような日々が続きました。

彼らと親しくなるきっかけとなったのは、一人で過ごす夜の寂しさに耐えかねて私が口ずさんだ日本の歌。子どもたちが集まってきて、私の歌をオウム返しに歌い始めたのです。お互いに拙い歌でしたが、これを機に集落の大人たちも私への警戒心を少しずつ緩め、食べ物を与えてくれるようになりました。その後も、未知の集落を訪れることを繰り返し、約1年間、旅を続けました。

この体験を通じてわかったことが二つあります。一つは、どんな相手であっても時間をかければ、必ず交流できるようになるということ。

もう一つは、自分が誰かのためにできることが何もないということです。私は集落を訪ねる度に「何でもしますから、泊めてください」とお願いしていました。けれど、実際には彼らの役に立てることなど何もできない。それを思い知ってから「医者なら役に立てるかも」と考え、帰国後は横浜市立大学の医学部に入学。勉強を積み重ね、医師の資格をとることができました。

人類の祖先と同じ道のりをたどる旅へ

1977年、アマゾン川流に暮らす先住民族の集落を訪ねたとき。白いシャツを着ているのが関野氏。

医師になった後もアマゾンに10年間通い続け、さらにもう10年をかけて南アメリカ全体を旅しました。その過程で、アマゾン川流域に暮らす先住民族の姿・形や性格が、どことなく日本人に似ていることに気づいたのです。

人類の祖先は、約700万年前にアフリカで生まれ、そこからユーラシア大陸、北アメリカを経由して南アメリカへたどり着いたと言われています。つまり、アマゾンの先住民たちの祖先はアフリカからやって来たわけです。一方、道のりの途中で日本に向かい、そこに住み着いたのが日本人の祖先です。その壮大な歴史に思いを馳せるうちに、「人類の祖先が旅してきた道を自分でもたどってみたい」と考えるようになりました。

アフリカから南アメリカへ至る、人類の広がりの起源となった道のりは「グレートジャーニー」と呼ばれています。私は何度も訪れたアマゾンを出発点として、グレートジャーニーを反対ルートでたどりながらアフリカを目指す旅を計画しました。昔の人とできるだけ同じ体験をするため、車や鉄道は使いません。徒歩以外で利用したのは、自転車、カヌーの一種であるカヤック、犬ぞり、ラクダなど。5万3000㎞という途方もない距離ですから、そう簡単には目的地にたどり着けません。40回以上の旅程を積 み重ね、約10年をかけてようやくゴールすることができました。

何かを思い立ったら恐れず行動してみよう

1981年から通い始めたペルーのアンデス・ケロ村にて撮影。

この旅が終わると、今度は「日本人はどこから来たのだろう?」という疑問がわき、新たな旅へ。日本人の祖先が日本列島に入ってきたルートを3通り選び、その道のりをたどりました。

インドネシアから沖縄へと至る、およそ4700㎞の海上の旅では、丸太舟をつくることにも挑戦。まずは道具をつくるところからとりかかりました。海岸で砂鉄を集め、火を起こして砂鉄から鉄をとり出し、木を切るためのオノやナタをつくりました。舟に使う帆やロープもすべて手づくり。知識がいくらあっても、物づくりの大変さは実際に手を動かしてみないとわからない。何度も失敗しながら、だんだん要領がわかってくる。今までやったことのない旅や物づくりに挑んでみて、ようやく人類の祖先の旅を実感することができたのです。

これから先、またふと思い立ったら、新たな旅へと出かけることでしょう。それがいつなのか、どれくらい長い期間にわたる旅になるのか、私自身にもまったく予想できませんが、挑戦し続けるつもりです。

みんなも「こんな体験をしてみたい、挑戦してみたい!」という衝動に駆られたときは恐れず、自ら行動してほしいと思います。その過程では、失敗もたくさんすることでしょう。しかし、失敗は私たちにいろいろなことを教えてくれます。失敗しなければわからないことだってある。自分の夢や目標を信じて、堂々と行動に移してください。たとえうまくいかなかったとしても、それはきっと、将来の成長につながる貴重な体験になるはずです。

小学校の校長をしていた父は厳格な人でした。私が高校生の頃には危険だという理由で、興味を持ち始めていた山登りさえ許してもらえませんでした。母もまた、子どもに対するしつけはとても厳しかった。だから、「大学に入ったら好きなことをしてやるぞ」という気持ちをずっと持っていました。当時は、かなり窮屈な思いをしていました。しかし自分が親になった今は、当時の両親の行動が深い愛情によるものだと理解できます。私は5人兄弟の末っ子でしたから、なおのこと心配だったのかもしれません。
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