「世界が直面している宇宙ゴミの問題をこの手で解決したい」

岡田光信氏(アストロスケール社 CEO)夢をかなえるために大事なこと3つ

毛利衛さんとの出会いが人生を変える

岡田光信
1973年兵庫県神戸市生まれ。東京大学農学部卒業。大蔵省(現・財務省)入省後、アメリカでMBAを取得し、マッキンゼーに転職。その後、通信事業と介護事業での起業を経て、2013年に宇宙ゴミの回収処理を目的とする、世界初の民間事業を立ち上げる。

子どもの頃はだめだめでした(苦笑)。今よりもかなり太っていて運動が苦手な上に勉強もできない。だからと言って、「運動や勉強をがんばって、今の自分を変えてやろう」というような気持ちは持っていませんでした。当時は、好きなことや夢中になれるものが見つかっていなかったからだと思います。

中学受験をして兵庫県西の宮市にある甲陽学院中学校へ進学しましたが、相変わらず成績はパッとしなくて……。学校のテストで182人中160位という結果のときも。怠け者で、全力で打ち込めるものが何もない。そんな自分にだんだん嫌気が差し、「何とかしたい!」という気持ちが高まってきたのが高1の頃です。

そんなときに、アメリカのNASAで行われるジュニアプログラムの記事を目にしました。とても興味をそそられて、すぐに参加を決意。そのプログラムで出会ったのが、宇宙飛行士の毛利衛さんです。毛利さんはどんな質問にも気さくに答えてくれて、手書きのメッセージまで書いてくれました。色紙には「岡田光信君宇宙は君達の活躍するところ」と書かれ、今でも大切にとってあります。

実は当時、毛利さんは大きな困難に直面していました。ジュニアプログラムが開かれる2年前の1986年、スペースシャトル・チャレンジャー号の爆発事故が起き、NASAの打ち上げプログラムが止まったままの状態でした。毛利さんは本人初の宇宙飛行士と期待されていただけに、ショックが大きかったのではないでしょうか。しかし、私が会ったときの毛利さんは、そんな素振りは全く見せず、自信に満ち溢れていたんです。かっこいい、自分もこんな大人になりたいと心から思いました。

公務員時代に渡米しMBAを取得して転職

中学時代の写真。中学受験をして、兵庫県の甲陽学院中学校へ入学した。

アメリカでの体験をきっかけに私の生活は一変し、必死で勉強するようになりました。学校から帰宅すると毎日、午前3時頃まで勉強していました。

猛勉強の結果が現れ始めたのは、高2のとき。高3を対象とした全国模試を受験したところ、全国で20位の成績をとることができたんです。さらに高3になると全国1位に。子どもの頃からだめだめだった自分から、ようやく卒業できた気がしました。

そして、模試の好成績によって、進学先として東大や京大が見えてきました。結局、親元を離れたいという気持ちから東大へ。環境分野に興味があったため、農学部に入りました。その後、大学院に進学したのですが、長い時間をかけて行う研究に従事するうちに、「もっと早く社会の役に立ちたい」という思いが強くなっていきました。在学中に起きた阪神淡路大震災で実家が被害を受け、親戚も大勢亡くなったことも、当時の心境に深く関係していたと思います。

悩んだ末に大学院を2年目で中退し、公務員試験の勉強を始め、翌春、当時の大蔵省(現・財務省)に入省。当初は環境庁(現・環境省)を目指していたのですが、試験の面接官から「すべての政策は予算があって成り立つものだ」と諭され、大蔵省へ行くことにしました。

主計局という部署で予算の査定を行う仕事を2年間続けた後、国の予算でアメリカのパデュー大学へ留学。海外で長期暮らすのは初めての体験だったので、毎日がとても刺激的でした。当時のアメリカはITブーム。起業熱が高まっており、大学で同じ講義を受けていた友人がいきなり大学をやめ、数億円ものビジネスを動かし始めたこともありました。彼らの姿に触発されて、私もアメリカで働きたいと考えるようになったんです。大蔵省を退職してからはすべてのお金を国に返還し、その後自費で大学院に通い、MBA(経営学を修めた人に与えられる位)を取得。アメリカで就職活動を行い、マッキンゼー・アンド・カンパニーというコンサルティング会社(企業に対して経営指南を行う会社)に入りました。この会社で3年半働いたことにより、「最も大きな問題点を見つけて改善策を考える」という能力を身につけることができ、今の仕事にも大いに役立っています。

世界中の人々の生活を守るために起業

高校生の頃、宇宙飛行士の毛利さんからもらったメッセージカード。今も大切にとっている。

その後、独立してソフトウェアや携帯電話の通信サービスを開発する会社を起業。仕事の関係でいろいろな国へ行くようになり、学会いへも参加するようになりました。そして宇宙に関する学会で、緊急性の高い課題として話し合われていたのがスペースデブリ( 宇宙ゴミ)の問題。そのテーマに強い関心を抱きました。

スペースデブリというのは、宇宙で役割を終えて放置された人工衛星やロケットの一部のことです。当初は数が少なく問題視されていなかったのですが、2009年にアメリカとロシアの人工衛星が衝突して1000 個以上のデブリが発生してしまいました。デブリは、銃弾の20倍以上のスピードで地球を一日16周し、衝突を繰り返しています。そのため、今も増え続けているのです。

 

もしデブリが使用中の人工衛星にぶつかれば、携帯電話、テレビ、GPS、気象情報などのサービスを利用している私たちの生活は成り立たなくなり、社会は大混乱に陥ります。まさに世界規模の問題。これを自分の手で解決したいと思い立った私は早速、スペースデブリを回収するための会社を立ち上げました。

私が考えた解決策は、粘着剤を使った回収衛星によってスペースデブリを回収し、大気圏へ運び、大気圏突入時の熱でゴミを燃やすという方法です。同じことを政府主導でやろうとすると、どうしても他国と利害関係がぶつかり、実現までに時間がかかります。そのため、民間企業が進める方が早く解決できるのです。宇宙事業には莫大な時間とお金がかかりますが、今は2017年の回収衛星初号機打ち上げに向けて、全力で取り組んでいます。

大きな夢を持って実現する方法を探そう

アメリカに留学していた頃の写真。幅広い価値観に触れ、視野を広げた。

私は今、世界が直面する問題の解決に挑んでいますが、みんなにも「世界の○○を変える!」といった大きな夢を持ってほしいと思います。大きな夢を掲げると、そこからさらに大きな夢が見つかる可能性が広がるからです。

そして、夢をかなえるためには、手順や方法を真剣に考えることが大切です。何をすればいいのか、どんな勉強が必要なのか、できるだけ具体的に考えてみてください。たとえば、宇宙飛行士になりたいと思ったら、どんな訓練や試験を受けるのかを本やインターネットで調べてみる。宇宙飛行士に直接話を聞く機会がないか考えて、行動に移す。そういった積み重ねが、夢をかなえるための第一歩になります。

しかし、自分一人のアイデアや行動力で実現できることには限界があります。だからこそ、仲間が必要。特に同じ夢や志を持つ仲間を見つけることができたら、夢の実現は大きく前進することでしょう。

NASAのジュニアプログラムへの参加をはじめとして、両親ともに本物に触れる機会をたくさん与えてくれました。それが今の私を形づくっています。我が家は決して裕福ではなかったのですが、食事には陶器の皿や漆塗りのお椀を使うなどの習慣もありました。ときには父が近くの山から松茸をとってきて、それが食卓に並んだり(笑)。子ども時代から本物に触れ、自ら体験する生活を通じて、いろいろなことに疑問を持ち、自ら考える力が養われていったように感じます。
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