子どもたちのために医療の現状を変えていきたい

白岡亮平氏(医療法人社団ナイズ理事長)夢をかなえるために大事なこと3つ

周りからのほめ言葉で苦手分野を克服する

白岡亮平
新潟県生まれ、埼玉県育ち。慶應義塾大学医学部卒業後、さいたま市立病院、慶應義塾大学病院に小児科医として勤務。2012年、年中無休のクリニックを西葛西に開院。その後、北葛西、代官山、亀有でもクリニックを設立。現在は代官山の院長を務めながら、4つのクリニックをまとめる。

小学生の頃に得意だったのは、体育や音楽、図工でした。算国理社はあまり得意ではなくて、特に算数に対しては苦手意識さえありました。 

それでも私は勉強することが好きでした。埼玉の自然の中で思いっ切り遊んでいると、なぜかふと勉強したくなるときがあるんです。子どもなりに遊びと勉強のバランスを取っていたのかもしれませんね。

私にとって幸せだったのは、両親や学校の先生が私の得意分野に目を向けて、それをほめて伸ばしてくれたこと。だから、うれしくなって「もっと、もっと!」とがんばっているうちに、得意なものだけじゃなくて苦手なものまで少しずつできるようになったんです。周りの大人がほめてくれると「苦手なことでもできるようになる」と信じることができたんですね。

その頃憧れていた仕事はピアニストやスポーツ選手。幼稚園のときには「陶芸家になりたい」なんて言っていました(笑)。母が芸術好きで、自分が小さい頃からピアノを習っていたこともあって、アーティストに憧れていたのかもしれません。

小学生の時に医学の道を志す

ピアノの発表会の様子。小さい頃からピアノに打ち込み、地道に努力することの大切さを学んだ。

芸術家志望だった私が医者を志したきっかけは、小学生のときに見たドキュメンタリー番組でした。私と同じ歳くらいの女の子が白血病で入院していて、退院できずに死んでしまうことを本人も何となく気づいているという内容です。「もっとやりたいことがあったのに……」と悲しんでいる女の子を見て、何か手助けできることはないだろうかと考えたんです。病気で困っている人を助けられる職業と言えば医者。私はその日、医者になろうと決心しました。

中学生になってからはバスケ部に入り、授業が終わると毎日練習。さらに週に3日は塾に行き、幼稚園のときから始めたピアノも続けていました。でも、特に忙がしいとか、嫌だなとは感じていませんでした。それは、塾にしろ、ピアノにしろ、両親から強制されたものではなかったからです。父も母も、私に何かを押しつけることはほとんどなかったです。だから、自分が楽しそうだと思えることしかやらなかったし、そのおかげで部活も勉強も続けられたんだと思います。

中学を卒業して慶応義塾高等学校に入学してからは、遠泳部に入部。その一方で、医学部に入学するため、勉強にも全力で打ち込みました。授業が終わると毎日泳いでいたため、帰宅は夜の10時頃。それから2時間くらい集中して勉強しました。さらに2時間弱の通学時間も無駄にせず、電車に乗っているときは教科書を読んだり、英単語の暗記をしたり。試験前は2~3時間しか寝なかったですね(笑)。

実は、自然豊かな場所で育った私にとって、都会的な慶應義塾高校は最初なじみにくい環境でした。どうやって周囲に溶け込んだらいいか、わからなかったんです。悩んだ末に「まずは自分にできることをやろう」と決めて、部活や勉強に打ち込むことにしました。それが良い結果を生み、少しずつ友だちも増えていきました。

小学生のみんなも、新しい環境やグループに入って「居心地が悪いな」と感じることがあるかもしれません。そんなときは相手に合わせるだけでなく、まずは自分の意志をしっかり持って行動してほしいですね。

親の教えを忘れず謙虚な医者を目指す

慶應義塾高校では遠泳部に入る。放課後は部活動に打ち込みながら、受験勉強にも力を注いだ。

高校時代の努力の甲斐もあり、無事に慶應義塾大学医学部に入学。本来なら万々歳ですが、なんと両親から「医者にならない方がいい」と反対されたんです。「自分のこともできないのに人を救えるわけがないだろう」って(笑)。確かに、その頃の私は生活面でだらしないところがあり、両親の言う通りでした。

でも、私も生半可な気持ちで医者を目指したわけではないので、両親に反発しました。お互いの意見をぶつけ合って、衝突して、落ち込んで……。医学部に通っていた頃は苦しい時期でしたが、両親も少しずつ認めてくれるようになりました。今振り返ると、親との衝突も自立するためには避けられないことだったのかなと感じます。

私は一人っ子なので、両親は多少甘いところがあったのかもしれません。でも、子どもの頃から厳しく言われ続けてきたことがあります。それは「常に謙虚でいなさい」ということ。「うまくできたとしても、それは誰かが手伝ってくれたおかげ。あなた一人でやったわけじゃないんだよ」と、幼ない頃からいつも言われてきました。その言葉を今も胸に刻んでいます。医者は人の命や健康を預かる職業であり、高度な専門知識が求められます。そのせいか、自分が何でもできると思ってしまいがちです。だからこそ謙虚であることがとても大切なんです。自分の信念を貫きながらも、ときには「間違っているかもしれない」と問いただす姿勢を忘れてはいけません。私はそのことを両親から教えてもらいました。

年中無休のクリニックを自らの手で立ち上げる

大学時代は医学の勉強に励む一方、さまざまな国に足を運び、視野を広げた。

大学を卒業して小児科医になったのは、やはり、テレビで見た白血病の少女の影響があります。ただ、それだけではなく、ほかにもいろいろな魅力を感じました。

たとえば小児科医は生まれた直後の赤ん坊ぼうから19、20歳の大人まで診察することができます。また、一人の子どもが成長していく姿を見守っていけることも大きな魅力。さらに子どもを育てるお父さんやお母さんを支え、励ましていける職業でもあります。そして、より多くの家族をサポートし、社会に貢献したいと考えた末、大学病院を辞め、子ども向けのクリニックを立ち上げました。ここは365日にち年中無休なので子どもの体調が急に悪くなった場合でも対応できます。

もちろん医者になったばかりの頃は、開業なんて考えていませんでした。でも、病院に勤務しているうちに「病院同士の連携がうまく取れていない」「医師が患者さんや、その家族に十分な説明をできていない」など、さまざまな問題点が見えるようになったんです。それを見過ごすことはできず、開業を決意。やはり、「何かを変えたい!」「誰かに何かをしてあげたい!」という気持もちは、夢をかなえる上で一番の原動力になりますね。

現在は4つのクリニックを開院していますが、今後、日本中に同じようなクリニックを増やしていくことが目標です。患者さんがいつでも、どこでも安心して医療が受けられるようにすることが私の願いです。それから、いつか義務教育の中に医療リテラシー教育を入れることも目指しています。小さい頃から健康や医療について学び、セルフケア、ホームケアを身につけておけば、病院に行くことが少なくなるはず。そうして削減した医療費を教育に回すことで、子どもの可能性はもっと広がるのではないでしょうか。これからも夢を持つ子どもたちを応援する世の中をつくっていきたいと思います。

父も母も、私の得意な部分をほめることで、やる気や挑戦する意欲を育んでくれました。勉強も習い事も強制されることはなく、自分のやりたいことを自由にやらせてくれました。その反面、「相手の気持ちを考えなさい」「謙虚でいなさい」ということは厳しく言われ続けました。おかげで感力や想像力が身につき、周囲に感謝する気持ちを自然と持てるようになったんだと思います。医者 はときに独善的な行動をとってしまうことがありますが、両親に言われたことを忘れず、常に自分の態度を振り返るように心がけています。
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