「災害で命が失われない社会を一日も早く実現したい」

蛭間芳樹氏(株式会社日本政策投資銀行)夢をかなえるために大事なこと3つ

地元の小学校で幅広い分野に挑戦!

蛭間芳樹
1983年埼玉県生まれ。株式会社日本政策投資銀行に勤務する傍ら、東京大学生産技術研究所で防災に関する研究に従事。ホームレスによるサッカー日本代表チーム「野武士ジャパン」のボランティア監督も務める。2013年、若者力大賞ユースリーダー賞を受賞。

自分の人生の原点は小学校時代にある。そう言い切れるぐらい、小学校でたくさんのことを学びました。

私が通っていたのは埼玉県の宮代町立笠原小学校。この学校では、朝は7時に登校し、まずマラソン1時間。授業前の「朝の会」では俳句、デッサン、合唱、読書などの時間があり、自分の好きなことをして良い日もありました。都心の学校に比べると生徒数が限られていたからできた面もあるかと思いますが、全員がスポーツから芸術まで幅広いジャンルに取り組める環境はとても刺激的でした。

また、生徒が「なぜだろう?」と疑問を持つように先生が指導してくれるのも、この学校の特長でした。たとえば、交差点で赤信号が点灯している時間を計り、「なぜこの時間が必要なんだろう?」と先生が問いかける。別の信号でも計って「なぜさっきの信号と時間が違うと思う?」と質問する。それにより生徒たちは自ら交通量を調べたり、考えるようになる。そのうちに身の周りの物に対して「なぜ?」と疑問を抱くようになり、それを解き明かそうとする気持ちが芽生えてくるのです。

笠原小学校の校歌は「なぜ学ぶ、何を学ぶ、どう学ぶ、どう生きる」という歌詞から始まります。自分の人生を歩んでいく上での姿勢、考え方、そして人とのつながりの大切さなどを教えてくれたことに感謝しています。

そんな小学校時代の一大転機となったのが4年生のとき。Jリーグの開幕がきっかけでした。私はもともとウルトラマンや『ドラゴンボール』の孫悟空といったヒーローへの憧れが強かったのですが、当時のスーパースター、三浦知良選手の格好良さには一番衝撃を受けました。それからは「カズと一緒にサッカー日本代表として活躍する」ことが、私の夢になったのです。

新潟県中越地震に直面し防災の重要性を実感

子ども時代を過ごした笠原小学校。スポーツや芸術、音楽など、ありとあらゆる体験をした。

5年生からクラブチームのジュニアユースに所属し、そこからはサッカー漬けの毎日。中学に入ってもサッカー中心の生活が続き、放課後はすぐに練習場へ向かい、帰宅するのはいつも夜遅くでした。高校受験では、試験直前に頭のいい同級生から、使つかっている参考書や問題集を聞き出し、運良く県下の進学校へ進むことができました(笑)。

高校でもサッカー中心の生活を続けたいと思っていたら、高校2年の夏にケガをしてユースチームをクビになってしまって……。

プロを目指す厳しい世界で、コーチから「君の代わりはいくらでもいる」と言いわれながらも必死で食らいついていたのに、急に道が閉ざされてしまった。私にとっては人生初の、とてつもなく大きな挫折でした。

そんなとき、新しい進路を見つける契機となったのが環境問題への関心でした。1992年にブラジルのリオデジャネイロで開かれた地球サミットで一人の少女が環境破壊に対する訴えを行っているのをニュースで見て、心を動かされたのが最初のきっかけです。また、私の高校へ講演に訪れた大学の先生の話を聞いたことも大きかったです。その先生の水環境に関する話がおもしろくて、その大学へ行こうと決めました。

は高校の途中までサッカーに明け暮れていたため、成績は教科によってまちまち。しかし、サッカーの選手権の予選が終わる高校3年の12月前後から勉強に本腰を入れ、試験直前の数か月間は寝る時間を極限まで削って猛勉強し、何とか大学に入ることができました。

大学ではアルバイトをかけもちしながら、興味のある講義に片っ端から出席。他大学の講義に出席できる制度も活用して、いろいろな大学に足を運びました。また、モンゴルへ10か月間留学するなど、国内外にたくさんの友人をつくることにも力を注ぎました。

そんな充実した日々を過ごしていたときに新潟県中越地震が起きたのです。小学校の頃にサッカー合宿で訪れた十日町が被災したと聞いたので、すぐに大学の友人と駆けつけました。そこで予想を上回る被害を目の当たりにし、「安全な都市をつくりたい!」という思いが膨らみ、都市防災を学ぶようになりました。

銀行員、研究員として災害対策に取り組む

小学5年生からサッカーに没頭。チームメイトと切磋琢磨し、中学時代は全国2位の好成績を残す。

専門的な勉強を進めていくにつれ、自分の中で「なぜいつまで経っても災害で人が亡くなるのか」という思いが強くなっていきました。

そして、自分なりに出した結論は「お金と防災が結びつけば、世の中の取り組みがもっと進むはずだ」というもの。そこで自分の信念やアイデアを受け入れてくれそうな銀行に就職し、都市防災の知識を生かして、同じ部署の仲間と新しい融資サービスを開発しました。

それは災害から人の命を守り、事業・ビジネスを継続する努力をしている企業を評価し、その成果に応じて、企業がお金を借りる際に有利になる金融商品です。企業は銀行からお金を借りることで事業を拡大することができ、この評価を受けているという事実はいろいろな危機への対策をしている証にもなります。東日本大震災を経験して、たくさんの大手企業がこのサービスの活用を始めています。私個人にとっても東日本大震災は新たな決意をするきっかけとなりました。大学院時代の恩師のすすめで銀行員の仕事と並行して「災害に強い、人の命が失われない持続可能な都市や社会」をつくるための研究活動に取り組み始めたのです。

今しか体験できないことがたくさんある!

学童スクール「こどもクリエ塾」の講師を務め、小学生を対象とした防災教育を行っている。

わたしには銀行員や研究員のほかにもいくつかの活動があり、最近では学童スクールで小学生を対象とした防災教育も行っています。また、ホームレスの人たちが選手として活躍するサッカー日本代表チーム「野武士ジャパン」のボランティア監督も務めています。プロサッカーと同じようにワールドカップも開催され、選手とともに出場を果たしました。

しかし、このチームの目標は試合に勝つことではなく、選手全員の自立や 社会復帰です。ホームレスの人たちが増えれば、それだけ国の経済力を支える 人が減る一方で社会全体の負担は増えます。都市の災害対策もホームレス対策も、私たち全員が真剣に向き合って解決しなければならない課題だと考えています。

最後に、私がみんなに伝えたいのは人と違うことを恥ずかしがったり怖がったり、失敗を恐れる人にならないでほしいということ。小学生のうちは、今しか体験できないことがたくさんあります。自分が「これだ!」と思ったこと には果敢に挑戦しましょう。挑戦して失敗するからこそ、学べることがいっぱいある。失敗だらけの人生の方がおもしろいと思います。それは自分の人生に挑戦していることの証だからです。私だって、サッカーでの挫折の経験や未だにいろいろな失敗をしています。人の一生を一日にたとえたら、小学生はまだ夜明け前の時刻。いろいろな体験をする時間はたっぷりありますよ。

小さい頃から、建築の仕事をしている父親の手伝いや、祖母の農作業の手伝いをして育ちました。親がいつも言っていたのは、「体が資本、友だちは人生の財産、人に迷惑をかけない限り好きなことを思い切りやって生きる」です。高校受験が近づいたときにサッカーと勉強のどちらを優先するかで両親と対立したのをきっかけに、高校からは奨学金制度を利用して進学しました。おかげで早い段階から経済的に自立できるようになり、今では両親に感謝しています。
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