「流体解析の技術を応用して脳の病気から人々を守りたい」

大島まり氏 (東京大学生産技術研究所 次世代育成オフィス 室長・教授)夢をかなえるために大事なこと3つ

大好きだったのは運動と精密機械の分解

大島まり
東京都生まれ。1992年東京大学大学院工学系研究科原子力専攻博士課程修了。工学博士。東京大学大学院情報学環及び生産技術研究所教授。文部省在外研究員(米国スタンフォード大学)、東京大学生産技術研究所助教授などを経て、2006年より現職。

生まれたのは東京ですが、父の仕事の関係で2歳で渡米。約3年半を過ごした後にまた東京に戻り、小学校に入学しました。当時は日本語がうまく話せないせいか、好きな科目は言葉が理解できなくても解ける理科や算数。父が宇宙や流星群などの話をよくしてくれたのと、2年生のときにアメリカの宇宙飛行計画アポロ11号で人類が月面着陸に初めて成功したのとで、私はとりわけ天体に強い興味を抱くようになりました。小学生のうちは、日曜になると欠かさず、当時渋谷にあった五島プラネタリウムに通っていましたね。 

また、低学年の頃は体が細くてあまり丈夫な方ではなかったので、フィギュアスケートと水泳を習って体を鍛えるようにしていました。当時は、勉強よりもスポーツが得意な子どもでした。そのため、今でもスポーツをやって体を動かすのが大好きです。 

地元の公立中学に入学してからはバスケットボール部に入りました。その後、受験して入学した都立高校ではテニス部に所属。クラブ活動で練習に明け暮れる毎日でした。高校生活では、文化祭で披露した人形劇も印象に残っています。台本を書いたりグループでの人形制作を仕切ったり、忙しくもも充実した時間を過ごしました。自宅では、時計だとかラジオを分解して中身の仕組みを探るのに熱中していました。ちょっと変わった子だったかもしれませんね(笑)。その頃から工学系の「ものづくり」に興味があったのだと思いますが、分解した後に元通りにできないことの方が多かったので、私がやっていたのは「ものこわし」ですけれど(笑)。とにかく、中学・高校時代は本当に楽しい時期だったと思います。高3で大学受験を意識してからは、さすがに勉強をやらなくちゃ、という気になって、ようやく勉強に本腰を入れました。

あこがれのMITで言葉の壁と戦い猛勉強 

米国在住の4歳頃、両親とクリスマスを過ごした。

理科系の科目が好きな上、橋や建物などをつくることのできる分野に惹かれ、工学部を目指して勉強した結果、筑波大学に入学しました。筑波大で基礎工学を学んでいるうちに研究者になりたいと思うようになり、大学院への進学を決めました。東京大学大学院では原子力工学を学びました。原子力工学を選んだ大きな理由は、子どもの頃に経験した「オイルショック」という社会現象。日本が資源の少ない国であることを知り、エネルギー問題に対する関心が湧いたためです。 

東京大学大学院で工学博士号を取得した後、憧れのマサチューセッツ工科大学(MIT)へ留学しました。世界最高峰の頭脳が集積する場所だけに、工学系の学生なら誰でも憧れがあると思いますが、私にはさらに特別な思いがありました。それは、子どもの頃に感動したあのアポロ11号の快挙。実は、アポロ計画を成功へ導いたプロジェクトのエンジニアスタッフには、MIT出身者が多かったのです。それで私は、留学するならMITしかない、と思い続けていました。 

希望通りにMIT留学を果たしましたが、そのレベルの高さは予想をはるかに上回るものでした。米国生活経験はありましたが、幼少期の数年だったために、英語を母国語並みには操れない状態。言葉のハンディキャップを乗り越えて専門分野を修めるために、必死で勉強しました。大学受験のときの何倍も勉強に打ち込こんだ日々でしたが、その甲斐あって、高度な専門知識を身につけることができました。

また、MITは学生の向上心が高く、授業では活発に質問や討議を行います。先生も学生に負けず熱心に授業に取り組むため、学内は常にダイナミックな活気にあふれているのです。このときの体験は、学生を教える立場となった今の私の指針ともなっています。

研究を社会に役立てる方法とようやく出会う 

中学2年生の頃、卒業生を送る会にてベルサイユのばらを上演。オスカルを演じた。

大学院で指導をしてくださった先生が計算力学の分野を専門に行っていた関係で、研究者になってからの私は流体解析という分野やの研究に取り組みました。しかし、将来に対する不安というか、進むべき方向性に関して迷いの中にいて、あれこれ思い悩む毎日を過ごした時期もありました。

転機のきっかけとなったのは、研究員としてスタンフォード大学へ赴いたときのことです。私がそれまで「研究のための一工程」という感じでしか捉えていなかった数値解析の技術を応用し、世の中のあらゆる場面に役立てようとしている若い研究者たちを見て、衝撃を受けました。まるで、絶対に不可能と言われていた人類の月面着陸を成功させたアポロ計画の技術陣を目の当たりにするような思いでした。

その後、帰国して東京大学生産技術研究所で働き始めてしばらく経った頃、脳外科の先生から、「数値解析技術を使って血液の流れと脳動脈瘤の病気の関係を調べられないか」という相談があったのです。私は心の中なかで「私のやるべきことは、これだ!」と叫びました。スタンフォード時代に、解析技術を応用して心臓の血流を調べる試みに取り組む研究者がいたのを思い出したからです。心臓の血流に関して、すでに取り組みが始まっているのだから、脳の血流についてだって、できないはずはない、と私は直感しました。

脳の動脈瘤とは、脳の血管にできたこぶ。これが破裂することが原因で、年間に一万人以上の人が命を落としています。脳の血管の状態は、外からは見ることができません。しかし、複雑に入り組んだ脳の血管内の血液の流れを、数値解析の技術を応用して、血管のどの部分に力が加わるかを画像化し、シミュレーション(実際に近い状態をつくり出すこと)するのは可能です。画像で細部までわかれば、こぶが破裂する時期や手術のタイミングを知る手がかりになります。研究はまだ途中の段階ですが、私自身が身につけてきた知識と技術を世の中に役立てるために、これからも私自身のライフワークとして、研究に一生懸命取り組んでいきます。

研究を社会に役立てる方法とようやく出会う

高校時代はテニスに没頭してい
た。

大学院で指導をしてくださった先生が計算力学の分野を専門に行っていた関係で、研究者になってからの私は流体解析という分野やの研究に取り組みました。しかし、将来に対する不安というか、進むべき方向性に関して迷いの中にいて、あれこれ思い悩む毎日を過ごした時期もありました。

転機のきっかけとなったのは、研究員としてスタンフォード大学へ赴いたときのことです。私がそれまで「研究のための一工程」という感じでしか捉えていなかった数値解析の技術を応用し、世の中のあらゆる場面に役立てようとしている若い研究者たちを見て、衝撃を受けました。まるで、絶対に不可能と言われていた人類の月面着陸を成功させたアポロ計画の技術陣を目の当たりにするような思いでした。

その後、帰国して東京大学生産技術研究所で働き始めてしばらく経った頃、脳外科の先生から、「数値解析技術を使って血液の流れと脳動脈瘤の病気の関係を調べられないか」という相談があったのです。私は心の中なかで「私のやるべきことは、これだ!」と叫びました。スタンフォード時代に、解析技術を応用して心臓の血流を調べる試みに取り組む研究者がいたのを思い出したからです。心臓の血流に関して、すでに取り組みが始まっているのだから、脳の血流についてだって、できないはずはない、と私は直感しました。

脳の動脈瘤とは、脳の血管にできたこぶ。これが破裂することが原因で、年間に一万人以上の人が命を落としています。脳の血管の状態は、外からは見ることができません。しかし、複雑に入り組んだ脳の血管内の血液の流れを、数値解析の技術を応用して、血管のどの部分に力が加わるかを画像化し、シミュレーション(実際に近い状態をつくり出すこと)するのは可能です。画像で細部までわかれば、こぶが破裂する時期や手術のタイミングを知る手がかりになります。研究はまだ途中の段階ですが、私自身が身につけてきた知識と技術を世の中に役立てるために、これからも私自身のライフワークとして、研究に一生懸命取り組んでいきます。

未来を担う次世代のためにできることを 

本業の研究と並行して、現在、中学や高校での出張授業にも力を入れています。これは東京大学生産技術研究所をあげて取り組んでいる活動です。 

MITで学生をしていた頃、周りの大学生たちは、当り前のように近くの高校の生徒たちを教えるボランティアをしていました。それをヒントに私も職場で周囲に働きかけ、この活動を始めたというわけです。

何のために勉強するのか、勉強したことがどう世の中の役に立つのか、それを伝えるのが目的。社会を直接的によりよく変えられる理系の学問の魅力を、みんなに知ってもらいたいですね。

父は、寡黙な人ですが、小さい頃から天体についての話を聞かせてくれたり、手取り足取り水泳を教えてくれたりと、必要なときに傍らにいて成長を助けてくれました。母は、常に物事をポジティブに捉えられる人。アメリカ生活直後の私が、小学校入学で環境の変化にとまどっていたときにも、「今は苦しくても、それはずっとじゃない。くよくよしないで」と諭してくれました。両親とも、私のことをいつも温かく見守り、私のどのような決意に対しても、理解を示し続けてくれました。
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