「科学技術への驚きや感動を多くの子どもに味わってほしい」

美馬のゆり氏 (公立はこだて未来大学 システム情報科学部 教授)夢をかなえるために大事なこと3つ

小学生時代の夢は「無医村で働く女医」

美馬のゆり
東京都生まれ。ハーバード大学大学院、東京大学大学院教育学研究科修了。公立はこだて未来大学、日本科学未来館の設立計画策定に携わるなど、科学技術の理解促進活動を行う。著書に『理系女子(リケジョ)的生き方のススメ』(岩波書店)など。

小さい頃のかかりつけのお医者さんがすばらしい人柄の女性で、ずっとあこがれを抱いていたんです。だから、小1のときの文集には「女医になって無医村に行く」と、将来の夢を書きました。得意科目は算数と理科。学研の『科学』という雑誌が大すきで、付録として毎号ついてくるさまざまな実験セットで遊ぶのが、とても楽しみでした。当時は、弟が病気がちで母がつきっきりだったことから、父が週末、遊びの相手をよくしてくれました。と言っても、父自身の興味があるところへ、ただ私を連れて行くだけのことが多くて(笑)。住宅の建築現場で大工道具に見入ったり、秋葉原の電気街でラジオを組み立てる部品に触ったり。アマチュア無線が趣味であった父の影響で、いつのまにか私も免許まで取ってしまいました(笑)。

小学校高学年になると、仲のよかった同級生に誘われて進学塾に通うようになりました。四谷大塚の週テストも毎週受けていましたよ。ただ、私自身は受験に興味がなかったため、勉強にはあまり熱心ではなかったと思います。結果的には、受験して合格した私立の中高一貫女子校へ進学することになりました。

入学してみると、校風になじめないときもありましたが、好きな数学を勉強できる数学部での活動など、楽しいこともありました。数学部では、数字を用いたパズルをつくってみたり、文化祭に向けて、数学にちなんだ『アキレスと亀』という人形劇の練習をしたりして過ごしました。問題の答えがひとつに定まらない国語に比べて、すっきりと答えが出る数学の魅力に、私はますます惹かれていきました。部活以外では、地元のジャズのライブハウスへも足繁く通いました。お化粧をするとか門限を破るとかいったことはしなかったので、親も私の行動を大目に見てくれていたようです。

進路を決定づけたコンピュータとの出会い

小学校1年生の遠足で、敷物の古新聞を読んでいる美馬氏。小学生時代はずっと学級委員をつとめていたそう。

高校生になって、私の将来を左右する出来事が起こりました。部活の顧問の先生の引率で行なわれた社会見学で、外資系コンピュータ会社の草分けとして知られる日本IBM本社を訪れたのがきっかけでした。コンピュータはまだ高価で、1人に1台という時代ではありませんでしたから、私はその計算処理能力の高さに驚きました。「本当にすごい! コンピュータはきっと世の中を変えるに違いない」と、強く感じたのを覚えています。それ以来、「コンピュータのことをもっと知って、コンピュータに関わる仕事がしたい」と思うようになったのです。

大学は、その専門分野が学べる電気通信大学の計算機科学科へ進学しました。さらに、大学1年生のときに、数学界のノーベル賞といわれるフィールズ賞を受賞された広中平祐先生が始められた、高校生・大学生向けの「数理の翼セミナー」に参加しました。数学や科学の高度な知識を持つ仲間と、思う存分自由に意見を交換した体験は、私にとってこのうえない財産となりました。セミナーの同窓生とはその後も交流を続けていて、現在の私の仕事は彼らとの関わりの中で生まれたようなものです。

大学3年生のときには、プログラマーのアルバイトを経験しました。マサチューセッツ工科大学で開発された教育用プログラミング言語を日本のパソコンに移す作業でした。このアルバイトで、「コンピュータは教育を大きく変えるに違いない」と直感。そこで、日本ではまだ誰も手をつけていなかった「コンピュータと教育の橋渡し役」を目指そうと決めたのです。

なりたい自分になるため留学先で猛勉強!

母親との1枚。「中高一貫校への進学は母の意向で反発したこともありましたが、今では感謝しています」(美馬氏)

当時のアメリカの大学院では、教育の中でコンピュータをどう使うかということについて考える「インタラクティブ・テクノロジー」と呼ばれる専攻領域が新たに生まれていました。まさに私の学ぶべき場所だと思って留学を志し、ハーバード大学に合格したのですが、主に経済的理由から卒業後すぐの留学は断念せざるをえませんでした。

 

大学卒業後は専業主婦を経て、外資系コンピュータメーカーに就職。仕事で自分の予想を上回る成果を上げることができました。しかしながら、すでに合格していたハーバード大学から再度打診の手紙をもらったことに加えて、働いて収入を得て資金面の問題が解決したことから、一年間働いた会社を辞めての留学を決意したのです。留学先の大学院では、毎日図書館で深夜まで勉強に励んだ結果、奨学金を得、修士号を取得することができました。喜怒哀楽を表情に出してもよくて、自由に意見を述べられる現地の大学の雰囲気は私の性格にぴったり。勉強はハードでしたが、とても有意義で楽しい日々でした。

 

一年間の留学を終えて帰国した私は、自分が学び足りないと感じていた部分を補うために、さらに東京大学の大学院へ進みました。ここでは、学ぶ側の心理に重点を置いた教育法について勉強しました。その後は、首都圏の大学で教える仕事に就きましたが、広中先生のお声掛けがきっかけで、北海道函館市に大学を新設する計画に携わることになったのです。また、日本科学未来館の設立に携わったり、その副館長を務めたりもしました。

 

世の中に存在する、科学技術に関わる多様な学問分野。そのおもしろさを伝えて次の世代の人たちに興味を持ってもらう。コンピュータと教育を学んだ立場から、そのような役割に使命を感じて、さまざまな仕事やプロジェクトに携わってきました。

アイデアとビジョンとインパクトが重要 

大学のキャンパスで学生とディスカッション中。公立はこだて未来大学は、開学以来10年間ほぼ就職率99%を維持している。

私が高校生のときに大型コンピュータを見て得た感動を、子どもたちにも味わってほしい。科学する心と未来をつくる力を養ってほしい。そういう思いが今の私の原動力です。

 

自分の思い描く夢を形にするには、何かアイデアを思いついたらそのままにしないで、それによって生まれる未来を想像することです。この想像の未来世界をビジョンといいます。そして、さらにアイデアが社会に与える影響、つまりインパクトを考えると、アイデアがより具体的になって実現しやすくなるのです。 また、仲間を持つことも夢の実現には大切。ひとつのアイデアを別の視点からとらえたり、共感したりすることで、アイデアは2倍にも3倍にも、時には100倍にだってふくらむものです。本当の仲間は、それぞれの得意なところを出し合って、夢を実現させるために一緒にがんばってくれます。 

はかりしれないほどの可能性を秘めたみんなの将来を、私なりの方法で全力で応援したいと思います。

時代の風潮だったのかもしれませんが、「女の子らしく」「女子なのだから」と、何かにつけ周りの人が言うことが多く、抵抗がありました。しかし、両親からはそういうことをいっさい言われなかったのがありがたかったですね。「塾に通いたい」「ライブハウスへ行きたい」と伝えたときにも、理由をきちんと伝えて納得させることができれば許可してくれました。私に何かを決めさせる際は、選択肢は十分に示して、最後は本人の意志を尊重して自己責任を自覚させるやり方でした。
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