「在宅医療で高齢の方々にとってよりよい社会を実現していきたい」

武藤真祐氏 (医師)夢をかなえるために大事なこと3つ

6歳で憧れた野口英世の生き方

医師になりたいと思った最初の体験は、6歳のとき。両親に連れられて行ったデパートで見た「野口英世展」という催しがきっかけでした。展示された写真の中の、世界の注目を集めながらロックフェラー医学研究所で研究に打ち込む野口英世の姿が、私の脳裏に焼きついたのです。読んでいた伝記の中にも、彼の本はありましたが、あの写真は、私の価値観の形成に大きく影響しました。 

子どもらしくないと思われるかもしれませんが、自分はどのような人生を歩むべきか、かなり早いうちから考えるような子どもでした。 

勉強のほうで言えば、大学教授の父の影響からか、幼い頃から読書や机に向かって勉強することが自然と身についていました。勉強することは、私にとって、ごく自然な生活の一部だったと言えるかもしれません。楽しみながら学んでいました。 

小学校の中学年で本格的に地元の塾に通い始めると、負けず嫌いの私はテストの順位を落としたくなくて、とにかく勉強に励みました。地元の生徒が集まる塾では本当の実力がわからないからと、日曜には電車に乗って東京の中野にある四谷大塚まで毎週テストを受けに行ったりもしましたね。 

受験を乗り越え、開成中学へ進学したとき、各地から成績のよい生徒が集まっているだけあって、最初の学年テストの成績は50位ぐらいだったと思います。自分で思っていたよりも順位が下だったので、私は心を奮い立たせ、ますます一生懸命勉強するようになりました。それで、徐々に学年内での順位が上がっていき、高校進学時には400人中4番になりました。その頃ころの私は、どうせ医師を目指すなら最難関の大学を目指そうという気持ちになっていて、東京大学の理科Ⅲ類(医学部)を狙おうと考え始めたんです。それからは、明けても暮れても勉強の毎日となりました。苦しさもそれなりに感じてはいましたが、勉強だけに打ちこめる環境や、努力した分の結果が出ることを、どこか楽しんでいたようにも思います。

病院、研究所を経て天皇陛下御付きの医師に

大学時代は度々旅行に出掛け、男友だちとハワイやサイパンに行ったこともあるそう。

猛勉強のかいあって、念願の東大医学部に合格することができました。大学時代は麻雀を友人としたり、海外旅行に出かけてスキューバダイビングを楽しんだりもしました。大学6年の夏にはハーバード大学に2か月間の留学も経験しました。世界から集まる医学生たちの意識きの高さに刺激を受うけ、あらためて野口英世のことを思い出して、彼のような世界に通用する医師になりたいという思いを強くしたのです。野口英世のような研究医を目指していた私は、医学部卒業後は理想的な研究環境を得やすい東大医学部第三内科に入局。その後、縁のあった三井記念病院にも勤め、29歳のときに東大の分子細胞生物学研究所で基礎研究をすることになりました。 

当時のこの研究所には理学部や薬学部の大学院生が多く、私のような医学部出身者はいませんでした。医師として積んできた経験とはまったく異なる分野の研究を始めたこともあって、私が師事した研究者からは、私の考え方からこれまでの生き方そのものまで、徹底的に否定されました。これまで学歴で評価されることはあっても、否定されることなどなかったため、本当につらい毎日でした。初めて味わった挫折感に、辞めてしまおうとも思いましたが、持ち前の負けん気が逃げ出すことを許さず、高い壁を乗り越えてきたという自信が私を支えました。「死んでしまいたい」と考えるほど苦しい日々でしたが、振り返ってみると、貴重な経験ができたと感じています。 

33歳になると、新たな転機が訪れました。以前お世話になった教授からの推薦で、宮内庁の侍医に任命されることになったのです。侍医というのは、天皇・皇后両陛下を始めとする皇室関係者の医事を分担して担当する医師のことです。大変責任の重い仕事ですが、同時に、とても名誉あることと光栄に思いました。

真の目標のためにコンサルタントに転職

石巻での訪問診察を行う武藤氏。1日に10人以上の患者さんの自宅に赴き、被災し身内を亡くされるなどした患者さんとも接する。

在任中は、24時間態勢で天皇・皇后両陛下のおそばにいて、外国へのご訪問にもお供するお役目をいただきました。おかげで、「国家」や「日本」という広い目線で物事を捉える機会が増えました。また、両陛下が常に社会的に弱い立ち場にいる人たちにも、温かいまなざしを注そがれていることからも多くを学びました。「日本のために何ができるか」自分自身の役割を深く考えるきっかけとなる仕事に就けたことを、心から嬉しく思っています。 

そうして任期を終えた私は、次の一歩をどう踏み出そうか、ずいぶん悩みました。大学病院へ戻って働くという選択肢もありましたが、「医師として、日本が抱えている医療の課題に取り組むべきだ」という気持ちが強くなっていました。医師の原点に立ち返って、困っている大勢の力になりたいという思いはあっても、どのようにその仕組を実現してよいかわからず、試行錯誤を続けました。

そんな、一見すると難しい問題の本質的な課題を分析して、解決策を導き出す力をつけるために、経営の課題解決を行うコンサルタントとして、外資系コンサルティング会社マッキンゼー・アンド・カンパニーで働らきました。医療の世界に戻るつもりでの期限を決めた転職でしたが、俯瞰的に医療業界を見つめる力を得られたことは、私にとって、大きな財産です。

日本の未来を創造するための本気の取り組み

在宅被災世帯の約6割が高齢者という石巻。仮設住宅とは違い行政の目が行き届かない人たちのために、武藤氏は、専門家やNPO、自治体と一体となりフォローも行っている。

この国が抱える課題のひとつに、「高齢の方の孤立」という課題があります。その解決のひとつが「在宅医療」です。医師のほうから訪ねて行って、診療を行うスタイルの医療です。患者さんと向き合って寄り添い、患者さんの魂が癒されるような医療がしたいと思い、3年前の2010年にこの在宅医療専門のクリニックを立ち上げました。その翌年、東日本大震災の被災地となった宮城県石巻市にも、同様のクリニックを開所しました。 

このような取り組みを始められたのは、私ひとりの力によるものではなく、多くの人の協力と支援があったからです。基本的に24時間365日の診療体制のため、今は東京と宮城の往復で休みもない日が続いています。それでも、だれかに喜んでもらえたり、世の中が少しずつでもよい方向に変わっていくことに、手応えとやりがいをひしひしと感じ、仲間とともに充実感に満ちた毎日を送っています。 

皆さんが、自分の成し遂げたいことを明らかにして、自分の能力を発揮するため、そして人生を捧げる意義のある仕事に出会うための努力を、私も応援しています。

子どもの頃にあれこれ口うるさく言われた経験はなく、両親の背中から学んだことが多いですね。大学教授だった父からは、学問に対する真摯な姿勢を学ぶと同時に、人としての誇りや信念に徹する生き方とも言うべきもの、つまり、生きていくうえでの軸となる部分を教わった気がします。一方、どちらかと言えば結果重視の父に対して、母は過程重視の人。日々の家事や子育ての中で、手を抜かず、まじめにこつこつと努力することの大切さを気づかせてくれました。
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