「日本発のバイオ燃料生産で環境問題を解決したい」

榎本平氏 (神戸大学大学院人間発達環境学研究科 教授)夢をかなえるために大事なこと3つ

毎日遊びに夢中で自然が教科書だった

出身は、宮崎県延岡市。街へ出るのにバスで30分以上かかる村で育ちました。私は7人兄弟の末っ子で、同じ村に同級生が30人近くいる環境でした。ガキ大将で、友だちと山や川で過ごすのが日課でしたね。小学生時代は友だちの間で、鳥を雛から飼育するのが流行っていました。スズメは何十羽と飼いましたし、タカやトンビなど、あらゆる種類を飼育しました。生まれたてのフクロウは、ぬいぐるみのようにフワフワとした真っ白い産毛が生えていて、とってもかわいらしい。カラスは、ある程度飛べるようになると、一緒に散歩に出かけるほど頭がよい生き物なんですよ。鳥の種類に応じて、昆虫やカエル、魚などをみんなで集めてきては、雛に与えていました。どれだけがんばって大切に育てても、飛べるようになると、いつの間にかどこかへ行ってしまいましたね。

それから、川で遊んだことも印象に残っています。「石けんの実」と言われるムクロジの実を、土手にすり込んで川面もで泡を立たせる遊びでした。そうすると小魚が浮いてくるので、それを獲って焼いて食べていました。ほかにも、洞窟を掘って棲家にして遊んだり、鉄砲や弓・矢などをつくったりもしました。また、タヌキ、イノシシ、山鹿や野ウサギを追い駆けて遊んだりもしました。すべての遊びを、子どもの集団だけで考えていたのです。まさに自然が教科書でしたね。遊んでばかりいたので、宿題と学校の授業以外の勉強をした覚えはありません(笑)。また、母が父のつくった炭や農作物の行商をやっていたため、私にも自然と商才がついたと思います。子ども時代は、お小遣いも自分で稼いでいたんですよ。スイカやみかんを育てたり、ウナギやアユを捕まえたりして、母に街で売ってもらっていました。

恩師のおかげで大学進学を決意

1981年~ 83年の間フランスに留学していた榎本氏。自宅で友人たちに天ぷらを振る舞ったそう。

勉強に興味のなかった私が変わったのは、中学2年生の頃。相変わらず自然の中で仲間たちと遊びまわっていたのですが、その一方で、レフ・トルストイの『戦争と平和』の映画をひとり映画館で観て、小説にも没頭。人間の内面について考える、多感な時期でした。

そんな折り、友だちと一緒にやったあるいたずらが、大問題になってしまったのです。慕っていた先生が、目に涙を浮かべて「平くんもそのメンバーに入っていたとは思ってもみなかった」と、ひと言だけおっしゃったのですが、心が傷みました。母が、私たちがいたずらをした家の大人に頭を下げて謝っている姿を見て、私は変わり始めました。

先生と母親の対応と、精神的な成長とのタイミングが重なったのでしょう。もともと先生のようになりたいと思った私は、大学進学を目指す決意を固めました。それからは、友だちがびっくりするほど一生懸命、勉強し始めました。

信念を曲げずに取り組み品種改良に成功

「榎本藻を活かせば、地球に優しいエネル
ギー生産システムをつくることができま
す」(榎本氏)

学校の先生になろうと思って大学へ進んだわけですが、4年生で将来の進路を考えたとき、自分の適性は教師でもなく、サラリーマンでもないと自覚しました。「好きなことを追求したい」という思いを強くし、研究職を目指しました。私が携わってきたのは、ガンの培養研究。神戸大学の医学部で、正常な細胞がガン化するときに、どの遺伝子が働くのかという、培養と遺伝子の研究に取り組んでいました。10年以上、医学部に在籍した後、教授として、神戸大の発達科学部に異動することになりました。教授になった以上は、内容の薄い論文を書くだけの研究はしたくない。地球環境に役立ち、何よりも日本の将来に役立つ研究を成し遂げたいと考えました。パートナーであり大学院生の妻ゆう子が、その手助けをしてくれました。

日本は、資源エネルギーの乏しい国。石油や原子力に代わる代替エネルギーが必要とされています。自然界では、水中に生息する藻類が、光合成をするときに大気中の二酸化炭素から糖をつくり、さらに炭化水素(重油)をつくることが可能だとわかっていました。ただ、自然のままの状態では分裂が遅く、油分を大量採取することができないため、改良する必要があります。品種改良は、私が続けてきたガンの培養とつながる部分がありました。それで、「藻の培養」を研究テーマとして選んだのです。しかし、最初の5年間は、何も結果が出せない状態。「もしかしたら、何か新しい発見ができるかもしれない」というところまで培養できても、だめになってしまったり、雑菌が入って全滅してしまったことが何度もありました。その度に、ゆう子と二人三脚で乗り越えてきました。

仮に15年間、結果を出すことができなくても、万が一成功すれば、日本のため、最終的には世界のためになると信じて取り組んできた毎日。挫折することなく研究を続けられたのは、苦しいときに手を差し伸べてくれる人がいたからです。そのひとりが、神戸大学の元学長、亡き西塚泰美先生でした。西塚先生は、中国の故事で「壺中有天あり、道中有花あり」と書かれた直筆の書を送ってくださいました。これは、世間の言うことに惑まどわされずに、信じて努力すれば、道中にも花が咲くいう意味です。この書を見るたびに、自分の信念を曲まげることはできないと言い聞かせました。

失敗しても一からやり直し。それを繰り返した結果、「榎本藻」と命名した品種を開発することができました。ボツリオコッカスという藻の一種で、分裂や成長の際に、重油に相当する高品質の燃料を生み出します。雑菌などが混在しても培養ができる丈夫な品種で、世界で最も分裂が速く、一般的なボツリオコッカスと比較して、1か月間で約1000倍の量に増殖させることができます。穀物燃料の場合、食糧の供給不足や高騰につながる可能性がありますが、藻類であれば問題ありません。まだ技術やコストなど課題もありますが、現在、民間企業が榎本藻をもとに、大量培養を行ってバイオ燃料の製造が実用化できるよう、開発を進めているところです。

答えが出ないことも覚悟して研究を進める

亡き西塚先生の書。「この名言
が、子どもたちに勇気を与えて
くれる言葉となってほしいです
ね」(榎本氏)

学生の間は、あらかじめ答えのあることしか勉強しませんが、研究にはマニュアルはありません。前例のないことを実験して、未知の世界を切りひらくことが仕事となります。結果が出ないことや、失敗してそれまでやってきたことがすべてだめになってしまうこともあります。答えの有無もわからないことを覚悟して取り組まなくてはならないので、想像力とひらめきがなければ、途中で挫折してしまうことでしょう。

私の場合は、子ども時代に誰の指示も受けずに問題を解決し、遊びを創造してきた生い立ちが、研究の世界にぴったり合ったと言いえます。その結果、藻類エネルギー開発の夢に、一歩近づく最初のブレイクスルーとなったのです。もちろん、自分の実力だけでここまで来たわけではありません。人を信じ、周りの人たちを大事にすることも、夢の実現に導いてくれる大切なことだと思います。

私が幼い頃は、子どもは自由に育て、その中で子ども自身が生きる力を会得するのが当たり前の時代でした。自分が親にのびのびと育てられた経験上、親は干渉しすぎないようにしたほうがいいと思います。子どもに過度に手を貸さないようにするためには、親にもそれなりの感情的知性・社会的知性が必要です。それには「どこまで好きにさせるか」「どこでブレーキをかけるか」という線引きを、きちんとしてあげることが重要だと思います。また、家族だけでなく、人生の大切な時期に手を差し伸べてくれた方々にも感謝しています。
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