「ワクワクするような研究で世の中を変える科学者でいたい」

野地博行氏 (東京大学大学院工学系研究科応用化学専攻 教授)夢をかなえるために大事なこと3つ

小学生で経験した3回の転校

生まれは北海道ですが、1歳のときに福岡へ移り、小学校へ上がると鹿児島へ引っ越しました。5年生でまた福岡へ戻り、6年生以降、中学、高校と埼玉で過ごしました。父親の仕事の関係で、いわゆる転勤族です。

ですから、子どもの頃は親の都合で転校を繰り返さなければならない境遇を理不尽に感じていました。親に対して口に出して言うことはありませんでしたが、「会社に縛られる生き方は嫌だ。大人になったら自由に生きたい」という気持ちを抱えていたと思います。科学者の道を考えるようになったきっかけは、そんな気持ちにあると言えるでしょうね。そういうわけで、最初のうちは集団行動が苦手な子どもで、つまらないと感じると勝手に教室を飛び出してしまうようなところがありました(笑)。

その一方で、転校を繰り返す中、子どもの社会にもさまざまなルールがあるのを知ったのも、小学生時代の貴重な経験でした。自己主張が強いだけの人間にならず、集団の中での自分を意識して役割を果たす存在になる力を身につけられたのは、当時の環境のおかげだと、つくづく感じます。

科学の本とサッカーに熱中しながら成長

福岡・久留米に住んでいた5歳頃の一枚。「隣でスイカを食べているのが妹です」(野地氏)

科学者である私の原点と言える子ども時代の体験は、もうひとつあります。それは、小学生の頃に夢中で読んだ学研の「ひみつシリーズ」。中でも『海のひみつ』と『恐竜のひみつ』は生命の起源に触れられていて、胸躍らせながら読んだものです。生命が誕生する前の「生命の起源」のもととなった「コアセルベート」という物質のことを知り、生命科学の世界にとても興味をそそられたのを覚えています。気に入って繰り返し繰り返し読むうちに、とうとう表紙がぼろぼろになって取とれてしまったほど。

学校の成績はよいほうでしたが、「勉強ばかりでなく体も鍛えるように」という父の勧めで、小3からサッカーを始めました。当時は野球少年のほうが多く、サッカーはそれほど人気のあるスポーツではありませんでした。それでも、自分に合っていたのか、高校までずっと続けました。中学のときには、サッカーの練習のあとに塾へ通っていて、ヘディングのせいで頭に泥をつけたまま塾の教室へ入るなんてこともありましたね(笑)。

高校は県立の進学校へ進んだものの、ほとんど勉強はしませんでした。サッカーをしたり友人と部室でしゃべったりという生活が楽しくて、成績はどんどん落ちていきました。入学時は上位10位ぐらいだったと思いますが、卒業する頃には、最下位に限りなく近いところをうろうろしている状態。当然、受験には失敗し、予備校へ通う浪人生活を送ることになりました。

科学者としての芯は心から楽しむ気持ち

大学生時代、ワンダーフォーゲル部の夏合宿で知床半島に行った際に撮影。右から2番目が野地氏。「2週間の相当しんどい藪漕ぎでしたが、この探検的な山行は、今の研究スタイルにも通じている気がします」(野地氏)

高校時代、勉強はおろそかにしていましたが、進路については自分なりに考えを巡らせていました。「僕は、物事の本質とか根源的なものを知りたいと思う気持ちが強い。だから、哲学か科学を学ぶべきだ」……と。

結局は、明確な答えが出ない哲学より、研究の成果が目に見えやすい科学のほうが性格に合っていると結論を出しました。それで、大学進学に際して理学部を選んだのです。

大学を卒業してからは、大学院へ進学し博士課程も修めることになりましたが、ある意味で運がよかったと感じています。というのも、私が身を投じた生命科学研究の世界が、どんどん変わっていった時代だったからです。その変化によって、生命科学の研究に物理学や化学の研究手法がますます欠かかせなくなっていったことが、私にとってはありがたいものでした。私はもともと理系科目の中では物理と化学が得意で、それが自分の強みだと考えていたのです。学問の進化の時流にうまく乗れたのは幸運でした。しかし、そればかりでなく、私自身が研究成果を楽しみにしたり、ワクワクする気持ちを大事にできたからこそ、科学者としての道を選んだことを少しも後悔することなくここまでやってこれたのだと思います。

学生時代、研究室の指導教官であった恩師は「科学を楽しもう!」と、口癖のように言っておられました。研究では、実験の成果が思いどおりにならず、迷路に迷い込んでしまう場合もありますし、研究以外の雑事に追われてストレスを抱えることだってあります。研究者になる前は「好きな研究ができるなら、すべてが楽しいに違いない」と考えていましたが、実際には、楽しいことばかりではありません。

だからこそ、悩んだり判断に迷ったりした時には、「楽しいかどうか」「ウキウキする気分になれるかどうか」で決めるようにしています。

とことんやり通せば何事も人のためになる

31名が在籍する野地研究室は、メンバーの誕生日会を毎月開いたり、イベントを行ったりとアットホームな雰囲気。

私が研究テーマに据えているのは、たんぱく質の分子のような、ごく微細な生命現象の領域。1ミリの10万分の1という小さな直径の球体が、生命現象を担っているのです。

現在の科学技術では、たんぱく質のような高度な機能を持った分子を、人工的につくることはできません。ですから、生物の分子の構造や働きをさらに解明していけば、医療や産業、環境分野に役立てることが可能になるのです。

私は研究の過程で、血液中などに存在しているがんやウイルスに関係するたんぱく質を、これまでの100万倍の感度で検出する技術を開発しました。つまり、命にかかわる病気をより簡単に、より早期に発見する方法が見つかったのです。この研究は、初めから病気に関わる分子の早期発見を目指していたのではなく、むしろたんぱく質の働きを調べる研究が出発点となっています。

科学研究を世の中の役に立てるのは、とても大事なことです。社会の問題を解決するために研究に取り組んでいる科学者は大勢います。しかしながら、その道のりは長く険しい場合が多く、次世代に成果を託しながら第一線を退く科学者は少なくありません。

その一方で、世の中のための研究は意識しつつも、思わぬところで偶然その方法が見つかるケースもあります。私の場合もそう。ただ「知りたい」という思いから研究に情熱を傾けた結果、世の中の役に立つことが見えてきたというわけです。

私が自分自身の経験を踏まえてはっきり言えるのは、どのような研究分野であっても、世の中の役に立つかどうかは、とことんやり抜く姿勢によって決まるということ。「知りたいから」「ワクワクするから」という気持ちが出発点であってもかまわない。その気持ちを原動力にして、どのような苦境に陥ろうともあきらめずに突き進めば、その先にはきっと「人のためになる何か」が待っているのだと思います。

父は、私に商社などに勤めて活躍するビジネスパーソンになってほしいと考えていたようです。しかし、私が科学者を志したとき、反対せずに私の決断を尊重してくれました。私自身、親になってみて息子の将来をあれこれよかれと思って考えてしまうので、父の行動にはあらためて感謝しています。母は、専業主婦でパッチワークが趣味の人。私が子どもの頃から、家事の傍ら一生懸命作品作りに取り組んでいました。その光景に、ひたむきに物事に向き合う姿勢を教えられた気がします。
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