「地震学者の立場から情報を発信して犠牲者をなくしたい」

大木聖子氏(東京大学地震研究所 助教)夢をかなえるために大事なこと3つ

おしゃべりで十官鳥と呼ばれた小学生

小さいうちから物怖じしない子どもだったようで、デパートで知らない子にいきなり話しかけたりしていたそうです。小学生になって担任の先生から「大木さんは十官鳥ね」と言われたこともありました。とにかくおしゃべりだったので、「九官鳥の上をいく」という意味で、そんなふうに言われてしまったんです(笑)。正義感が人一倍強くて負けず嫌いな性格でもあり、腕相撲で男子を負かしてクラスで一番になったこともありましたね。

4年生で塾に通い始めて、理科が特に好きになりました。月の満ち欠けはいちいち覚えるものだと思っていたら、月と太陽と地球の位置関係さえ理解できれば、自然と答えが出ることがわかって、感動に似た気持ちを感じたのを覚えています。中学受験では第一志望の学校に入れず悔しい思いをしましたが、進学した学校は中高一貫教育の女子校で、学校生活は予想を反してとても楽しいものでした。長い弓を持って電車に乗る先輩の姿に憧れて入った弓道部で6年間活動した経験は、私にとっての財産です。武道から礼儀作法を学び、生涯を通じての友人を見つけることができましたから。

中2のときには、母が「おもしろい本があるから読んでごらん」と一冊の本を渡してくれました。北海道大学で教授をされていた、地震学者の島村英紀さんの『教室ではおしえない地球のはなし』という本です。地球の表面を覆う岩盤、プレートは流れるように動いているという事実に驚くと同時に、地震学者という人たちが、この生きている地球を調べていると知り、興味を覚えました。

無理と言われた大学に猛勉強をして入学

動物好きの姉がおり、家では犬、鳥、カニやクワガタなどいろいろな生き物を育てていた。

高校に進学してからは生徒会会長を勤め、さらに充実した毎日を送りました。

1995年、高1のときに起きた阪神・淡路大震災をきっかけに地震学者を志すようになった私は、母に勧められて読んだ本の著者である島村先生がいらっしゃる北海道大学へ進学しようと決めました。模試での判定結果が当初Dだったため、高校の先生には「無理だろう」と言われました。が、一度決めた目標を変える気持ちにはなれなかったので、懸命に勉強に打ち込みました。その結果、志望大学の入試を突破することができました。

似たような家庭の子が集まる東京の私立女子校に通っていた私にとって、地方大学への進学は大きなカルチャーショックでした。高校時代から親元を離れて暮らしていた人、修学旅行を利用して訪問先の都市の書店で受験参考書をようやく手に入れたという人。自分とはまったく違う境遇で生きてきた人たちの話に驚かされるばかり。東京で何不自由なく育った私は、それまで、地下鉄の走っていない町が日本にあることや、照明ひとつない郊外の夜の深い闇さえ知らず、ようやく自分自身の世間知らずを思い知りました。また、大学2年生で地球惑星科学科の勉強を始めたときには、自分の進路に大きな影響を与えた島村先生に感激の対面を果たしました。

あきらめかけた道をもう一度目指す

防災教育を行っているときの一枚。「子どもは避難訓練もキビキビと取り組んでくれます。難しいのは大人への啓発ですね」(大木氏)

その後、順調に勉強を進めて大学院生となった私に、予期せぬ出来事が起こりました。2004年10月に発生した新潟県中越地震です。ちょうど博士論文に取り組んでいた時期だったのですが、報道で多くの犠牲者が出たのを知り、無力感を味わった私は、地震学者への道をあきらめかけました。しかし、私を思いとどまらせたのは、そのときの新聞記事でした。本震の犠牲にならずに済んだのに、余震で小5の少女が亡くなってしまったのです。大きな地震のあとの余震でも本震と変わらないほどの被害が出ることを彼女や彼女の家族が知っていれば、それを私たちが教えてあげていれば……と思うと、悔しくて涙が出ました。余震の危険性を地震学者が世の中にきちんと伝えていかなければならないと強く感じ、私は自分のやるべきことをはっきりと自覚したのです。

それから1年後に博士号を取得して地震学者の卵になりました。地震学には、収集したデータをもとに地球内部の未知の構造を研究する世界でも最先端の領域がある一方で、これまでの研究成果を役立てて地震による被害を抑える使命もあるはずです。

私は、博士号を取得するまでは前者を進めてきましたが、今は啓発活動や防災教育に力を注いでいます。大学院生のときに科学博物館で見学者に地震の話をするアルバイトをした経験から、人に地震について話すのが向いているのではないかと感じたのも、ほかの地震学者とは異なった今の仕事を選んだきっかけのひとつです。

現在は、小学校で防災教室を開いたり講演の機会をもらったり、本を著したりして、あらゆる形で啓発活動を行っています。

講演などで直接質問を受けつけると、必ずと言っていいほど、「地震はいつ来ますか?」「私の住む町は大丈夫ですか?」と聞かれます。実は大勢の人が誤解をしているのですが、地震がいつ、どこで、どのくらいの規模で起きるかを予知するのは、現在の科学では不可能。テレビやラジオや携帯電話を使って流される緊急地震速報は地震を予知しているわけではなく、地震が起きた後で、大きな揺れが来る前に人々に知らせている仕組みで、世界でも日本だけが実現を可能にした技術です。誤報や限界もありますが、うまく活用することで、被害を減らすことができます。

正しい知識で備えれば被害は絶対に減らせる

著者『地球の声に耳をすませて』(くもん出版)の印税を震災遺児へ寄付するなど、幅広い活動を行なっている。

地震は、起きるのを止めることはできないし、事前にいつ、どこで起きるのか知ることもできません。けれど、正しい知識をもって備えれば、地震による被害を減らせます。

私は子どもの頃に「家にいるときに地震が起きたら、すぐに火を消す」と教わりました。しかし、今は地震が起きるとガスは自動的に止まる仕組みになっていて、火は人の手を借りなくても消えます。煮え立った油や熱湯でやけどをする危険のほうが大きいので、火に近寄るのではなく離れるのが一番なのです。

同じように、私が子どもの頃の避難訓練では、地震を想定して教室で机の下に隠れるのが当たり前でした。でも、地震が起きたときに、いつも机がそばにあるとは限りません。停電で放送もできないでしょう。大事なのは、とっさの場合に丈夫で安全な場所をいち早く見つける行動で、その訓練をしたほうがよいのです。

人間は自分たちがコントロールできる自然を「恵み」と呼び、自分たちの力でどうしようもないものを「災害」と呼びます。しかし、どちらも地球の大きな力によって発生するものなのだと、みんなにわかってほしいですね。

これからも、震災で亡くなる人をゼロにするために、地震学者として啓発活動に励みたいと考えています。

島村先生の本を始めとして、母は私の興味のありかに応じていろんな本を勧めてくれました。父は建築家ですが、別の道を考えていたのに家庭の事情で進路を決めざるをえなかったことから、子どもには好きな道を歩ませてくれました。また、わが家では、私が子どもの頃から鳥や昆虫や植物など、たくさんの生き物を飼い育ててきました。生き物の世話をする体験を通じて、命の大切さを知り、他者を思いやる気持ちを自然と持てるようになりました。両親のおかげだと感謝しています。
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