地球上に暮らすすべての人の人権が守れる
世の中にしたい

土井香苗さん(NGOヒューマン・ライツ・ウォッチ日本代表、弁護士)

夢をかなえるために大事なこと3つ

世界の広さを実感した英国でのホームステイ

ニューヨーク大学の卒業式での一枚。「隣は父です。現地まで来てくれました」(土井さん)。

都心から少し離れた地域に住んでいたせいか、住宅街のまわりには野山があって、子どもの頃にはたぬきをよく見かけました。小さいうちは、野山を走り回ったり、子どもだけの「秘密基地」をつくったりしていましたね。

5年生のときに、周りの子どもたちの影響もあって、塾に通い始め、私立中学を受験することになりました。新撰組が好きな先生が塾にいて、成績がよい子には新撰組の本をくださいました。それで、私もいつのまにか、沖田総司や土方歳三のファンになりました。今でも新撰組は好きですね。

結局、文化祭を見に行ったとき、自由な雰囲気が気に入った桜蔭中学に進学することにしました。

中学時代の一番の思い出は、父の勧めで行ったイギリスでのホームステイです。3週間ほどの期間でしたが、私にとっては、海外で生活するのは初めての体験でしたから、すべてが驚きの連続でした。いろいろな国から子どもたちが集って来ていたのですが、外国人同士がすぐに仲よしになる光景は、小さな世界しか知らなかった私には、カルチャーショックと呼ぶべきものでした。

日本のほかにも多くの国があって、いろいろな人たちがいることを実感した私は、その体験をきっかけに「国際的な仕事がしたい」と思うようになりました。それからまもなくして、長年にわたって難民支援活動を行われている犬養道子さんが書かれた『人間の大地』という本に出会うんです。この本は、犬養さんがアジア、アフリカの難民キャンプを訪れて著した、ルポルタージュです。世界中に難民や飢餓に苦しむ人たちがいることを知って、私は、苦しんでいる人を助ける仕事への関心を高めていきました。

アルバイトをしながら司法試験を見事に突破

2009年4月、ヒューマン・ライツ・ウォッチ東京オフィス開設記念のときに開かれた、記者会見の様子。

高校に入って、テニス部に所属したりもしましたが、家庭は大変厳しく、門限も設けられていたので、学生生活を楽しむという心の余裕はありませんでした。勉強してよい成績をとることだけが、唯一私が達成感を味わえるものになってしまい、成績はよかったけれど、当時はつらく、窮屈な思いの中で生活していました。数学が得意ではなかったのと、資格の取れるところを勧める親の意見もあって、東京大学の法学部を受験することに。入試でうまくいった実感がなかったものの、無事に合格することができました。

大学では馬術部に入り、全日本選手権を目指して練習に没頭するようになりました。でも、1年生の終わり近くになると、また親から干渉され、部活動をやめて司法試験に本気で取り組むことになったのです。そこから司法試験の勉強を始めて約1年。家庭内の緊張感が頂点に達してしまい、私は家を出て、自活を始めました。塾や家庭教師のアルバイトをしながらの生活です。司法試験の勉強に、すでに多くの時間を費やしてしまっていたので、やめてしまうのはもったいないという気持ちになって、とにかく1回は受験しようと決めました。しかし、自分の意志で始めたものではなかったため、勉強自体は、私にはとてもつらいものでした。だから、絶対に受かって勉強をやめたいという気持ちのほうが強かったですね。かえってそれが、合格につながったのかもしれません。

ボランティア活動から人権弁護士の道へ

2010年4月、ロシア人活動家とともにインタビューを受けた際の写真。代表として、取材対応することも多い。

司法試験には合格したものの、当時の私は弁護士になりたいという強い気持ちはまだありませんでした。幸い、まだ大学3年生だったので、「今度こそはやりたいことをやろう!」という気持ちになりました。それで、以前からずっとボランティア活動から人権弁護士の道へ考えていた、難民を助ける仕事を始めたのです。

まず私は、民間の国際交流団体であるピースボートのボランティア登録をしました。そして、「アフリカへ行ってみたい」とメンバーに相談してみたところ、エリトリアという独立したばかりの国で、刑法をつくる手伝いができるのではないかという話をもらったのです。その後、エリトリアに1年間赴いて、当時の私にできることに力を尽くしました。そのとき、社会的に弱い立ち場の人や、貧しい人のために活動する、人権弁護士の人たちに何人もお会いしたことで、私も弁護士になる意志を固めることにしました。

司法修習生を経て、正式に弁護士となってからは、さまざまな事件の弁護を受け持って、経験を積みました。とりわけ、印象に残っているのが、アフガニスタンから来た難民の弁護団に加わったときのこと。アメリカの同時多発テロの後に起きた、アフガニスタン戦争で難民となったアフガニスタン人が、日本への入国を拒否され、そのまま国内の収容所に強制収容されてしまった事件がきっかけでした。5年近くにおよぶ弁護団の活動で、支援者やNGO(開発途上国援助や人権問題で活動する民間組織)を巻き込み、イベントなども行って、世論をつくることにもある程度成功しました。この経験は私にとって貴重なものでしたが、一方で、「難民一人ひとりを弁護しているだけではきりがない。難民の生まれない社会をつくる必要がある」とも感じました。そこで、人権に関する法律をさらに深く学ぶために、アメリカの法科大学院に留学しました。

日本政府を人権保護のリーダーに育てたい

大学院での勉強はなかなかハードでしたが、ここでも大きな収穫がありました。当時の私は、世界中の人権問題を扱うNGOがまだ日本にはなかったため、自分でつくるしかないと考えていました。ところが、大学院の授業で、ヒューマン・ライツ・ウォッチ(HRW)について本格的に知ることになり、さらに幸運にも、その組織の一員として働けることになったのです。

HRWは、世界各地の人権侵害と弾圧を阻止し、人権を守ることを目的として活動している、世界最大規模の人権NGOです。各国の政府に働きかける強い力を持ち、対人地雷禁止条約の成立に貢献したことで、他団体ともにノーベル平和賞も受賞しています。

私は今、そのHRWの日本での拠点で、代表を務めています。日本には、人権問題に無関心の人がまだまだ多く、活動を進めるのは大変ですが、罪のない人が政治的な理由で危害を加えられたり、命を落とすのは絶対に許せません。ですから、日本政府には、将来、人権を守るためにリーダーシップを発揮する存在になってもらいたいと考えています。

世界中のすべての人が、人間として当然の権利を尊重される──。本来そうあるべき世の中を、仲間と一緒につくりあげるのが、私の夢なのです。


中学生のときに経験した、イギリスでのホームステイは、私が海外に目を向けるきっかけとなりました。パイロットで、海外への渡航経験が豊かな父の勧めによるものでしたが、私の原点ともいえる体験をさせてくれたことは、両親に感謝しています。また、司法試験の勉強に打ち込んでいるとき、同居していた妹が、身のまわりの世話をしてくれました。彼女の支えがなかったら、勉強を途中で投げ出して、大学生のうちに資格を手に入れることはできなかったのではないかと思います。
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