「知識と経験を全部注ぎ込み 世界中の食糧問題を解決したい」

岩永 勝氏(農学博士)

夢をかなえるために大事なこと3つ

考えることで分析力を鍛たえていた少年時代

子どもの頃は、近所の子たちと一緒に走り回って遊ぶ一方で、野原で花や蝶を見たり、一人で空想にふけるのも大好きでした。

当時、父親は地元で町会議員やPTA会長を務め、母親は婦人会長、民生委員として地域のために忙しく働いていました。そういう姿をずっと見ていましたから、社会での役割をきちんと果たし、世の中のために役立つ人にならなければいけないという思いが少しずつふくらんでいったような気がします。小・中学校の成績が割とよく、理科が得意科目だったので、漠然と医者になろうと考えるようになりました。中学ではテニス部に入部。自分から希望したわけではありませんでしたが、学級委員やテニス部の部長も務めることになりました。高校で生物部に入ってからも部長に選ばれました。私は社交的なタイプではないのに、なぜかこういう役目ばかりをやることになってしまいます(笑)。

しかし、あとになってだんだんわかってきたのですが、リーダーというのは、外向的で人をぐいぐい引っ張ぱっていくだけでは務まらない場合もあるのです。聞き役に回ってそれぞれの意見に耳を傾け、一人ひとりの資質や適性を分析できる冷静さも必要。子どものうちから一人の時間を大事にして、あれこれ思いをめぐらせる経験を積んでいたことが、周囲の人たちをまとめて目標に向かわせる、私自身の姿勢と行動を自然と形づくったのかもしれません。

医学部から農学部へと進路を大きく変更

小学生の頃。左が岩永氏。「隣はいとこで、夏祭りに行ったり野原で遊んだりしました」(岩永氏)

医者の夢を抱いて実家から離れた進学校へ進んだ私は、高校生で下宿生活を始めました。少し照れくさい話なのですが、生物部にいる後輩の女の子のことが好きになりました。ところが、みごとに失恋。それをきっかけに、人間より、自分の気持ちを裏切らない植物と一緒にいるほうがいいと思うようになってしまったんです。それで、人と関わらなければならない医者という仕事は、自分には合っていないと思うようになりました。

また、私の高校時代の同級生に、今は作家として活躍している村上龍がいました。彼は当時、社会現象化していた学生運動に力を注いでいました。大人の決めたルールや仕組みを鵜呑みにせず、社会のあり方を常に自分自身の頭で考えようとしていたその姿は、社会への関心という点で私にも影響を与えました。そして、自分が好きな分野で世の中のために何ができるかと考えた末に、花の品種改良に携さわりたいと、大学の農学部への進学を決めたのです。

大学に入ってまもなく、私にとって衝撃的なできごとがありました。穀物の品種改良で生産量が飛躍的に向上した、いわゆる「緑の革命」です。さらに、品種改良の中心となったアメリカの農業学者ノーマン・ボーローグ博士が、世界の食糧不足の改善に貢献したという理由で、1970年にノーベル平和賞を受賞したのです。

まさに自分の学んでいる知識と技術が世界のために役立つことを実感した私は、学問の対象を花から穀物へ変えることを決意。大学で学んだことをさらに究めるために、大学院へ進学しました。

研究者として多国で仕事に打ち込んだ日々

高校1年生の頃。生物部のメンバーとの1枚で、左が岩永氏。花が持つ、ワクワクする美しさにひかれ入部を決めたそう。

自分が目指すテーマに沿った勉強ができる場所として選んだのは京都大学の大学院でした。狭き門なので、すんなりと入ることはできず一度目は失敗。大学に残って研究生を続けながら、二度目の受験で入ることができました。

苦労して入った大学院で、嬉しいことがありました。奨学金を受けてアメリカの大学で勉強できる制度が始まったのです。コツコツ勉強を続けていたことで、私はその制度を利用して留学できることになりました。渡米してから、さまざまな文化的背景の人や考え方に出会って、大いに刺激を受けましたね。

中でも一番心に残っているのが、留学一年目の期末試験問題です。私が学んでいた遺伝学の世界では神様のような存在であるノーベル賞学者の本に対して、「この章に大きな間違いがあるので、指摘しなさい」という問題でした。そのときはとんでもない問題だと思いましたが、「学問の世界では常識とされていることも、疑ってかかる態度が必要だ」という教えであることが、のちにわかるようになりました。これは今でも研究者として大切にしている姿勢ですね。

社会に出てからは、国際農業研究機関の研究員として働くことになり、ペルー、コロンビア、イタリア、メキシコと約30年にわたって海外での生活と仕事を続けました。土地の条件がよくない場所でも育つ、害虫に強いといった特長を持つジャガイモを始めとして、数々の穀物の品種改良に挑戦し、成果を残すことができました。

2002年からは、メキシコに本拠地を置く「国際トウモロコシ・小麦改良センター」の所長を務めました。アジア人では初の所長となり、ここの相談役は、学生時代に憧れを抱いた、あのボーローグ博士でした。しかし、私の就任当時は経営状態が悪く、大きな借金を抱え組織としては危うい状況だったのです。そこで、私は経営改革と人員整理に着手する必要がありました。もともとボーローグ博士の研究を出発点とする研究所だったため、組織の改革を行うのは、博士が築いた功績を否定するようなものだと考える人たちもいました。それでも、立て直さなければ組織を存続させることが困難な状態。そんなときに、私の改革の決意に一番理解を示してくれたのが、博士自身だったのです。私が研究者になりたての頃は、自分が管理職や経営者になるとは思ってもみませんでした。それでも、経験を積む中で、個人プレーの技を磨くだけでは本当にいい仕事はできないとわかってきたのです。

研究者から指導者へ 社会貢献率の高い仕事

2004年、米国農務省と国際トウモロコシ・小麦改良センター共同で行われた、ボーローグ博士90歳の誕生日祝賀会での1枚。中央が博士で、右端は農務省長官ベネマン氏(当時)。

穀物の改良を行うには、病理学、栽培学、社会学などさまざまな専門分野の知識が必要になります。多くの専門家を集め、チームをとりまとめ、それぞれの長所を引き出すことが予想以上の成果につながるのです。たとえば、世界に通用するような一流の野球選手を目指すのは、すばらしい目標と言いえます。が、さらにその先に監督となって偉大な選手を数多く育てあげる仕事も同じぐらい価値があると、皆さんにわかってもらえるとうれしいですね。

今後は、同じ面積に植えられた稲でも従来の2倍の収穫量が可能となる米、生産コストを下げつつおいしさを向上させる技術、肉質を向上させる家畜飼料になる穀物の品質改善など、世の中に役立てる取組みに力を尽くしていきます。日本が持つ高い農業技術を駆使して、開発途上国で今もなお飢えに苦しむ人を一人でも減らすために。


まずありがたいと感じるのは、健康な身体をくれたこと。学校も仕事も一日も休まず皆勤を続けていられるのですから。高校へ進学し下宿することになったとき、早くから親元を離れる生活を許可してくれ、医学部への進学をやめて農学部を選んだときにも支えてくれたのは、うれしかったですね。子どもの頃から「医者になる」と言っていたので、両親もそのつもりでいたはず。親元を離れたとたん進路を変えてしまったのでショックだったと思いますが、最終的には認めてくれました。

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