「命の重さと夢の大切さを子どもたちに伝えていきたい」

 津久井宏行氏 (東京女子医科大学 心臓血管外科 医師)

夢をかなえるために大事なこと3つ

自転車で往復200㎞!野宿も経験した冒険旅行

小学生のときの私は、わからないことがあると放っておくことができなくて、自分で調べるのが好きな子どもだったと思います。

暗記が勉強の中心になる教科よりも、実験を通じておもしろい発見ができる理科が好きで、4年生からは毎年、地域の理科研究展覧会に研究成果を応募していたんです。じゃがいもやアメンボなどをテーマにして自分なりに研究し、展示用に文章や絵にしてまとめていました。当時の担任の先生がとても熱心な方で、毎日のように放課後、実験室にいる私に遅くまで付き合ったうえに、車で家まで送ってくださいました。

研究ばかりしておとなしい性格だったかというとそうでもなく、3年生ぐらいからボーイスカウトの活動を始めたこともあって、身体を動かすのが好きな、活発な子どもでした。理科研究がないときの放課後や休みの日は、たいてい外で遊んでいましたね。ボーイスカウトの仲間とは仲がよくて、中学3年のときに、当時開催されていた「科学万博つくば’85」に3人で出掛けました。それも、栃木県にある自宅から茨城県の会場まで自転車で行ったんです。距離にして片道約100㎞の行程で、自転車にテントや炊事道具を積み、駐車場で野宿もしました。1泊2日の短い旅でしたが、すべて自分たちで判断して行動したせいか、楽しく思い出深い冒険旅行になりましたね。

3年間の部活で学んだ「タイミングの大切さ」

小6の頃、理科研究展覧会での1枚。「親から勉強しろと言われたことはなく、とにかく自分の興味を追求していました」(津久井氏)

中学校では部活動に明け暮れていました。水泳部に入りたいと思っていたのに、学校には運動系の部活の種類が少なくて、バレーボール部に入ったんです。

部活を続けるうち、初めて「世の中には思いどおりにならないことがあるんだ」と痛感しました。というのも、バレー部で活躍するには身長が足ないと気づいたからです。「どうすればもっと身長が伸びるか」「ジャンプ力をつけるには何をすればいいか」を調べて、つま先歩きがジャンプ力強化にいいらしいとわかれば試してみる、背を伸ばすにはカルシウムと知ったらどんどん摂取するといったことを必死に行っていました。

それでも、中学時代に身長がぐんと伸びることはなく、成長期がやってきたのは高校生になってからでした。高校では本来やりたかった水泳部に入ったため、身長が伸びても「バレーには間に合わなかった」と、残念な気持ちが強かったです。ただ、その悔しい経験から「実力を発揮するにはタイミングが大事」という教訓を学べたように感じます。

高校2年のときに父が急に亡なり、弟も小児性の糖尿病を患っていたため、医師を目指そうと考えるようになりました。とはいえ、進学校の生徒のように厳しい受験勉強をした経験がありませんでしたから、初めて全国規模の模試を受けたときは焦りましたね。数学の問題を半分しか解けない私にくらべて、周りの人たちはびっしり答案を書き込んでいるんですから。進学校では授業の進み具合いが速く、私のような普通の生徒とが習っていないところまで学習を終えていたことを知ったのです。

それからは、独学で勉強を進めると同時に、春休みや夏休みのたびに上京して予備校の講習を受け、周囲に意識を合わせるよう努めました。そういった努力のおかげか、何とか現役で医学部に合格できました。大学では、やはりスポーツがやりたくて、陸上競技部の活動に熱中しました。

卒業後の進路を決める時期になって、考え抜いた末、外科の道に進むことにしました。理由は2つあります。ひとつめは、自分自身の適性。最初は糖尿病の研究に携さわることも考えましたが、研究室でコツコツとやるよりは、瞬間瞬間の判断力と集中力を求められる現場での仕事のほうが私には向いていると思ったのです。もうひとつは、現在の職場である東京女子医大の主任教授が私の通っていた大学にいらして、いろいろな話を聞けたこと。外科医として誇りとやりがいをもって仕事をされていると感じ、「私もこの人と一緒に働きたい!」という気持ちになったからです。

仕事と勉強を両立させて32歳でアメリカへ留学

ボーイスカウト仲間と。後列右から3番目が津久井氏。「土日に家にいることはほとんどなかったですね(笑)」(津久井氏)

外科医となって働き始めて数年。20代の後半になって、私はアメリカへ留学したいと思うようになりました。

心臓外科に関しては、日本の場合、症例数の割に医師の数が多いため、手術の経験を積み重ねるのに時間がかかります。心臓外科手術の技術は、健康な視力と、研澄まされた指先の感覚が何よりも重要。身体能力の高い若いうちに、自分自身を鍛えておきたいという気持ちがどんどん募ってきたのです。職場の先輩の後押しもあって、ついに渡米することを決めました。

その後、病院での仕事の前後に毎日数時間勉強するという生活を続つづけながら、アメリカの医師免許を取得し、家族の協力も得て、32歳でアメリカへ渡りました。そこではもちろん自分の技術を磨くのに力を注ぎましたし、人工心臓の開発にも携さわりました。当時私が研究していた人工心臓は現在では実用化もされていて、研究面でもアメリカへ渡ってよかったと思います。

20代後半で渡米を決心できたのも、中学のバレー部時代に学んだ「実力を発揮するにはタイミングが大事」という教訓のおかげだと思っています。

医療現場体験によって子どもたちの夢を育む

研究も仕事のひとつ。自分が担当した心臓外科手術の様子をビデオ録画し、それを入念にチェックして次回に活かすそう。

6年間の米国滞在を終えて、現在は再び東京女子医大で働いています。身につけた技術によって多くの患者さんの役に立てるよう毎日を過ごしています。もちろん手術室に立つばかりでなく、より高性能の人工心臓や身体への負担の少ない手術方法の開発、後輩の育成にも力を注いでいます。

また、アメリカでの経験をもとに日本では珍しい試みも始めました。それは、中高生向けの医療現場体験セミナーです。少年コミック誌の協力で全国から募集した中学生や高校生に対して、心臓病の講義、ビデオ見学、さらには動物の心臓を使った心臓手術の体験を行いました。

セミナー当日は、医療に対する好奇心旺盛な中高生たちが熱心に取り組む姿に胸を熱くさせられ、「こういう子どもたちがいるなら、日本はまだ大丈夫だ」という気持ちになりました。

このところ「夢が見つからない」「将来に希望を持てない」という子どもたちが増えていると聞きます。これは大人の責任だと思います。目の前の大人が夢を描けず自信をなくしているのでは、子どもが「いつか自分もこうなるかも」と思うのも当然。だから、子どもたちの将来のためにも、夢を持って仕事に打ち込む「かっこいい大人 」でずっといたいと考えています。


「これをやりたい!」と思ったら反対されても行動に移す性格なので(笑)、子どもの頃から両親にずいぶん心配をかけたと思います。母は、理科の研究で学校に遅くまでいるとお弁当を届けてくれたり、冬の夜に天体観測するときはそばについていてくれたりしました。父は仕事が忙しい人で接する時間が限られていましたが、「実るほど頭を垂れる稲穂かな」という言葉をよく口にしていました。「立派な人になるには謙虚でなくてはいけない」と、私に教えたかったんでしょうね。

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